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信長・家康が恐れた男・武田信玄は治水の名人だった#3

水を治める先人たちの決意と熱意、技術に学ぶ 【武田信玄編】

文・緒方英樹(理工図書株式会社顧問、土木学会土木広報センター土木リテラシー促進グループ)

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日本独自の治水技術を開拓

『明治以前日本土木史』(土木学会編)第一編には、信玄の治水事業について次のように記述されています。

 「信玄は、甲府盆地の水害を除却せんが為め、釜無川に始めて霞堤を築造し、又水制として優秀なる聖牛(ひじり)、棚牛、尺木牛、胴木牛、尺木垣等の工法を創設し、尚林制を厳にして水源の涵養を図れり」。

 聖牛(ひじりうし・せいぎゅう)については、「地方凡例録(ぢかたはんれいろく)」という江戸時代後期に書かれた農政書に、武田信玄の創案により釜無川、笛吹川に施工されたと記されています。その後、信玄の勢力圏拡大に伴って天竜川、大井川、安倍川、富士川に伝わり、各地へ伝播していったようです。また、笛吹川では、流れの一部を万力林(まんりきばやし)という広い林に導き、林の中にも小さな堤防を幾つもつくって水防林と成し、下流のまちや田畑を守ったということです。

 このように、自然の力をうまく利用した日本独自の治水技術は甲州流と呼ばれ、現在も河川工学の源の一つです。信玄堤は、江戸時代や明治中期に改修が繰り返されるも、今に残る貴重な土木遺産となっています。(※写真は毎年4月に釜無川の水防を祈願するために行われる祭り「おみゆきさん」)

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