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【ニュースがわかる2024年5月号】巻頭特集は10代のための地政学入門

民衆を救った僧侶たち②

水を治める先人たちの決意と熱意、技術に学ぶ 【行基編】

文・緒方英樹(理工図書株式会社顧問、土木学会土木広報センター土木リテラシー促進グループ)

水害と対峙した僧侶たち①はこちら 

スーパー僧侶、行基(ぎょうき)の登場で分かる土木の原点

 当時、民衆の救済という仏の道に従って行動した僧侶たちですが、なぜ、インフラ整備や災害対策としての土木事業をおこなったのでしょうか。そうした土木技術をどのように会得していたのでしょうか。その謎を解くヒントは、道昭(どうしょう)の弟子として諸国を回った行基が教えてくれます。

 

 師である道昭を日本初の火葬で送った行基は僧の位を捨て、国の援助もなしに、橋や港、道路や用水路などを次々と造っていきます。行基の土木技術は、もちろん、道昭に従って回る中で会得したと思われますが、その出自に注目してみます。

 まず、道昭は、渡来人系の船連(ふねのむらじ)の家系に生まれ、一族は水運造船技術に通じていたと思われます。行基の父は高志才智(こしのさいち)、母は古爾比売(こにひめ)。どちらも渡来人系の出自です。特に、父の高志才智は百済から来た王仁(わに)博士の後裔とも言われています。「民衆を救った僧侶たち①」で述べたように、道昭や行基は、渡来人系の経験や技術を引き継いで応用していったのかもしれません。

 洪水で決壊した堤防工事などで、自ら現場の先頭に立つ僧侶など誰も見たことがありません。国は行基が民衆のために行う行動を抑圧しましたが、民衆は深く慕い、行基の周りに続々と集まり、地方豪族たちまでも支援しました。布施屋(ふせや)という農民たちが都に行く途中の簡易宿泊所やため池、用水路などを各地に造っていきます。現在の兵庫県伊丹市中西部に築造した昆陽池(こやいけ)は、地域にたびたび降る大雨と洪水を防ぐために築造したため池です。洪水対策だけでなく、灌漑用水を溜める多目的ダムであり、現在も上水用貯水池として一部用いられています。

 昆陽池をつくった翌年の731年頃、河内の国(大阪)に古くからある狭山池が洪水を繰り返さないように改修したと伝えられています。堤の高さをかさ上げした技術などその詳細は、大阪府立狭山池博物館で体感することができます。

 やがて人々は、行基のことを菩薩様と呼ぶようになりました。

 では、なぜ行基は土木事業を率先して行ったのか。仏教では、ほかの人を助ける行いを「利他行(りたぎょう)」と言います。行基たち僧侶は、土木や建設の工事という大きな「利他行」によって人々を救い、自分は仏のような誠実な気持ちで生きたいと願っていたのでしょう。人々もまた、懸命にそうすれば仏の道に近づけると信じていたのだと思います。行基たちが寺を出て民衆を救済した僧侶の行いに、土木の原点を見てとれます。(※写真は喜光寺(奈良市)に安置される行基像。悩み苦しむ人々のために力を尽くしたとされる=奈良市で)

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