【ニュースがわかる2024年10月号】巻頭特集は「発明が世界を変える」

パラリンピック どんな世界?【ニュース知りたいんジャー】

東京オリンピックが終わったと思ったら、パラリンピックが始まりました。オリンピックと似ているようで、違うところもあります。オリンピックとの「二刀流」もいるんだって! パラリンピックの世界をのぞいてみましょう。【飯山太郎】


 ◇いつからあるの?

 1960年からあります。最初は「国際ストーク・マンデビル大会」と言いました。「ストーク・マンデビル」というのはイギリスにある病院の名前です。この病院は48年にロンドン五輪に合わせ、車いすの入院患者のアーチェリー大会を開きました。参加したのは、第二次世界大戦などでけがをして歩けなくなった人たちでした。
 大会は毎年開かれ、イギリス以外の国からも選手が参加する国際大会になり、競技も増えました。そして、60年には初めて五輪開催地のローマで、国際ストーク・マンデビル大会を開きました。今は、この60年ローマ大会が第1回のパラリンピックとされています。


 ◇名前の由来は?


 最初に「パラリンピック」という言葉が使われたのは、前回1964年の東京大会でした。そのころは腰や背中を通る神経の束・脊髄が傷ついて歩けなくなったり、脚の感覚がなくなったりする下半身まひの英語「パラプレジア」と「オリンピック」を組み合わせたものでした。85年に国際オリンピック委員会(IOC)と話し合い、「パラリンピック」という名前を正式に使ってよくなりました。この時に「パラ」の意味は、ギリシャ語の「沿う」とか「並んで進む」となり、「もう一つのオリンピック」と理解されるようになりました。
 「五輪マーク」に当たるパラリンピックのマーク「スリーアギトス」は、2004年アテネ大会(ギリシャ)から使われています。「アギト」とは、古いヨーロッパの言葉のラテン語で「私は動く」という意味です。大変なことがあってもあきらめず、挑戦し続けるパラリンピック選手を表しています。赤、青、緑の3色は世界の国旗で最も多く使われている色ということで選ばれました。


 ◇どんな障害の人が出るの?


 最初は脊髄を痛めた人しか出られませんでした。その後は車いすの人の大会でしたが、1976年には目に障害がある人と手や足を切断してしまった人、80年には脳の障害で体にまひがある人も出場できるようになります。
 知的障害のある人では2000年シドニー大会に出場した選手が、障害がないのに、あるふりをしたため、その後は、知的障害者の出場は認められなくなりました。12年ロンドン大会から競技によっては再び出られるようになっています。「パラ」の意味が変わったのは、車いすの障害者だけの「五輪」ではなくなったのも理由です。


 ◇どういう競技があるの?


 オリンピックと同じように陸上や競泳があります。2016年リオデジャネイロ大会(ブラジル)は、アーチェリーや卓球で五輪とパラリンピックの「二刀流」で出場した選手がいました。今回の東京大会も卓球女子で、右手がないポーランドのナタリア・パルティカ選手が五輪に出場し、パラリンピックにも出ます。4大会連続の「二刀流」となりそうです。
 ただ、パラリンピックには障害の重さや種類が似たような選手同士で戦い、競技が公平になるように細かい「クラス分け」があります。片足がなくても義足で歩ける人と、両足があっても車いすの人が、同じレースで争うのは不公平ですよね。だから、いくつもの「クラス」に分かれて金メダルを争います。
 パラリンピック特有の競技もあります。視覚障害者が鈴の入ったボールでゴールを奪い合うゴールボール、脳性まひなどの選手が、目標へ自分の球を、より近く、より多く集められるかで得点を競うボッチャなどです。


 ◇障害のある選手をどうやって支えているの?


 視覚障害者の陸上なら、選手と同じロープを持ちながら、一緒に走ってコースを教える「ガイドランナー」がいます。ガイドが遅いと選手が遅くなってしまいます。ですので、日本一を決める駅伝大会に出る実力を持つ選手が、ガイドランナーになることもあります。走り幅跳びには声などで助走や跳ぶ方向を選手に伝える「コーラー」という人がいます。この時、観客は静かにするのが観戦マナーです。しっかり支える人や観客がいれば、目が見えなくても走れるし、跳べるのです。
 また、日本では「大きな会社は障害者を一定の割合は雇うように」と法律で定めたこともあり、企業からお金などの支援を受け、競技に打ち込める選手が増えました。選手はいずれ引退します。引退後も働き続けられるよう、パラリンピックを機に日本でも障害者が働きやすい世の中になってほしいですね。(2021年08月25日掲載毎日小学生新聞より)