【ニュースがわかる2024年10月号】巻頭特集は「発明が世界を変える」

日米開戦80年 敵国から仲良しに【ニュース知りたいんジャー】

1941年12月8日(日本時間)に日本軍がアメリカ(米国)のハワイ・真珠湾を攻撃するなどして太平洋戦争が始まってから80年をむかえました。いまは仲良しになっている日本とアメリカの間に何があったのでしょうか。太平洋をはさむ両国の戦いから仲直りに至る道のりをたどります。【木村健二】

◇なぜ戦争になったの?

 日本は日清戦争や日露戦争をへて、台湾と朝鮮半島を植民地とし、中国大陸に乗り出しました。1931年の満州事変をきっかけに中国への侵略を本格化し、37年からは日中戦争が始まったものの、戦いは泥沼化しました。
 石油などの資源に乏しい日本は、東南アジアで資源を確保しようとしました。アメリカやイギリスが東南アジアから中国の蔣介石政権に支援物資を届けていて、この「援蔣ルート」を絶つねらいもありました。40年9月にフランスの植民地だった北部仏印(今のベトナム北部)に進み、41年7月には南部仏印(今のベトナム南部)に進みます。
 アメリカは経済制裁を強め、日本への石油の輸出を全面的に禁止。日本とアメリカは話し合いを続けましたが、アメリカのハル国務長官(日本の外務大臣に相当)は41年11月、中国・仏印からの日本軍の全面撤退などを求めました。日本はこの「ハル・ノート」と呼ばれる提案を受け入れず、戦争にふみ出します。

◇どんな戦いだったの?

 航空母艦(空母)6隻を中心にした日本海軍の機動部隊は1941年12月8日午前3時19分(日本時間)、ハワイ・オアフ島真珠湾のアメリカ軍基地に襲いかかりました。作戦の主なねらいは、ハワイをたたくことで、日本軍が攻め入る東南アジアにまでアメリカ軍が来るのを防ぐことでした。アメリカ側は戦艦4隻を沈められるなどして、民間人をふくむ約2400人が犠牲になりました。奇襲の成功は「トラ・トラ・トラ」という暗号で伝えられました。
 一方、12月8日午前2時15分(日本時間)、日本陸軍はイギリス領マレー半島のコタバルへの上陸を開始。12月10日には日本海軍の別の部隊がマレー沖でイギリス海軍と戦い、日本の航空隊がイギリスの戦艦2隻を沈めました。
 それまでの海戦の考えは、戦艦同士の戦いで決着をつける「戦艦主兵」が主流でした。真珠湾攻撃とマレー沖海戦は、航空機をのせた空母を中心に戦いを進める「航空主兵」の考えが強まるきっかけになりました。

◇アメリカはどう受け止めたの?

 戦争を始める場合、前もって相手の国に戦うことを知らせる国際ルールがあります。日本がアメリカに最終覚書を届けたのは12月8日午前4時20分(日本時間)で、真珠湾攻撃の約1時間後でした。イギリスに対しては何も知らせずにマレー半島を攻め始めました。アメリカ側は真珠湾攻撃を「だまし討ち」と受け止め、ルーズベルト大統領は「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」を合言葉に反撃に移ります。
 ヨーロッパでは、独裁者のヒトラーが率いるナチス・ドイツがポーランドやフランスなどに勢力を広げ、ソ連(今のロシアなど)にも攻め込んでいました。日本は1940年にドイツ、イタリアとともに日独伊三国同盟を結んでいました。イギリスのチャーチル首相はドイツの攻撃に苦しみ、アメリカに助けを求めていました。日本とアメリカの開戦を受けて、ドイツとイタリアもアメリカと開戦。第二次世界大戦は、日本やドイツなどの「枢軸国」と、アメリカやイギリス、ソ連、中国などの「連合国」との戦いに発展しました。

◇戦争はどうなったの?

 日本は、イギリスの植民地だった香港やシンガポール、アメリカの植民地だったフィリピンなど、東南アジアと西太平洋の広大な地域を占領しました。しかし、1942年6月に日本がアメリカとのミッドウェー海戦で敗れ、主力の空母4隻に加えて多くの熟練パイロットを失うと、戦局は一転しました。
 日本とアメリカには工業力や資源の量に大きな差があり、アメリカ軍が日本軍を圧倒していきます。真珠湾攻撃を指揮した連合艦隊司令長官の山本五十六は43年4月、ソロモン諸島の上空で搭乗機が撃墜されて戦死。アメリカ軍は45年3月から本土への空襲を本格化し、6月には沖縄にまでせまりました。日本は8月に広島、長崎に原子爆弾を落とされたうえ、ソ連の参戦を受けて、無条件降伏を求めた「ポツダム宣言」を受け入れて戦争に負けました。
 日本海軍は世界最大の戦艦、大和と武蔵を造っていましたが、大きな戦果を上げられないままアメリカ軍に沈められました。各地のまちは焼け野原となり、日中戦争と第二次世界大戦で約310万人が犠牲になりました。

◇戦後の日米関係は?

 戦争が終わると、日本はアメリカなどの連合国に占領されました。戦後は新しい憲法を定め、主権(政治のあり方を決める権力)が国民にある民主的な国づくりを進めました。憲法9条では戦争はしないとし、軍の戦力を持たないことにしました。1951年にサンフランシスコ平和条約を結んでアメリカなどと正式に仲直りしました。アメリカとは日米安全保障条約を結び、アメリカ軍が日本の基地に残りました。国を守る組織として自衛隊ができましたが、政府は憲法が持つことを禁じる「戦力」には当たらないと説明してきました。
 太平洋戦争をめぐっては、アメリカのオバマ大統領(当時)が2016年5月にアメリカの大統領として初めて広島を訪問。この年の12月には、日本の安倍晋三総理大臣(同)がハワイ・真珠湾を訪問し、「パールハーバーを和解の象徴として記憶し続けてくれることを願う」と訴えました。ただ、国内に残るアメリカ軍基地は沖縄などの地域の負担になっているほか、戦争の歴史は韓国や中国などアジア諸国との関係に影を落とし続けています。

(2021年12月08日掲載毎日小学生新聞より)