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【ニュースがわかる2024年6月号】巻頭特集は地震大国ニッポン 被害を減らすために

写真で振り返るセンバツ100年

球春到来を告げる選抜高校野球大会は2024年、大会創設から100年の節目を迎える。1924(大正13)年に第1回大会が始まり、戦争による中断、天災、病の流行などを乗り越えて名勝負を繰り広げてきた。主な出来事を写真とともに振り返る。(センバツ2024 第96回選抜高校野球大会公式ガイドブックより)

 センバツ誕生 (1924年)

 関東大震災(23年)翌年に「国民の希望の灯をともしたい」との願いを込めて大会が始まった。

 予選を持たない「招待大会」として、「過去1年間の試合で最強チームと認められた」8校が参加。第1回大会のみ、名古屋市郊外の山本球場で開催され、高松商(香川)が初代優勝校となった。翌年の第2回大会では選考委員会制度が確立され、会場は前年の夏に開場した阪神甲子園球場に移った。

1回大会で優勝した高松商ナイン

 プラカード行進&校歌吹奏開始 (1929年)

 校名を書いたプラカードの先導、勝利したチームをたたえる校歌の吹奏と校旗掲揚などは第6回大会(29年)から始まった。

 発案したのは、大阪毎日新聞社運動課員だった28年アムステルダム五輪陸上女子800メートル銀メダリストの人見絹枝さん。「五輪の表彰式で日章旗を見た感激を忘れることができない」と語ったのがヒントになった。

 戦争の中断から6年ぶりに復活 (1947年)

 太平洋戦争の影響で中断を余儀なくされ、6年ぶりの開催となった第19回大会は47年に行われた。開幕直前に連合国軍総司令部(GHQ)の圧力により、開催が危ぶまれたが、戦後初めて甲子園で大会が開かれた。

 翌年の第20回大会は学制改革により「第1回選抜高校野球大会」と名称を変更。「全国大会は1回でいい」と反対したGHQの民間情報教育局に配慮し、大会名から「全国」を外した。現大会名に「全国」がないのはこの名残だ。

19回大会の決勝戦を観戦する進駐軍兵士たち

 背番号復活&NHK放送開始 (1953年~)

 第8回大会(31年)で採用されながら姿を消した背番号制度が、第25回大会(53年)で復活した。夏の甲子園大会でも前年から採用されており、選手のプレーが確認しやすくセンバツでも踏襲された。

 翌年の第26回大会からはNHKのテレビ中継が始まった。新日本放送(現毎日放送)も全試合をラジオ中継した。

 沖縄県勢初出場 (1960年)

 沖縄勢は、夏の甲子園は58年に首里が初出場し、センバツでは第32回大会(60年)で那覇が初出場した。那覇は開会式で先頭で入場行進し、主将が選手宣誓した。

 沖縄勢の春初勝利は第43回大会(71年)の普天間。第71回大会(99年)で沖縄尚学が春夏通じて沖縄勢初優勝。2010年には興南が春夏連覇を達成した。

32回大会で選手宣誓する那覇・牧志主将

 金属バット登場 (1975年)

 甲子園では前年夏から使用された金属バットが、センバツでは第47回大会(75年)に初登場し、長打が続出した。大会新記録の11本塁打(従来は8本塁打)を記録した。特に開幕試合は倉敷工(岡山)16-15中京(愛知)と乱打戦を繰り広げた。

 第44回大会(72年)からは、事故防止のため耳つきヘルメットの着用が義務づけられるなど、道具も現在の形に近づいた。

47回大会決勝戦の対高知戦で左越えソロ本塁打を放つ東海大相模の原辰徳選手

 ラッキーゾーン撤去 (1991年)

 阪神甲子園球場から91年冬にラッキーゾーンが撤去された。47年にプロ野球観戦を盛り上げる本塁打を増やすために設けられ、甲子園大会では49年夏から使用された。

 撤去後初の甲子園大会となった第64回大会(92年)の本塁打は前年の18本から7本に激減したが、星稜(石川)の松井秀喜選手が大会3本塁打を記録した。

甲子園のラッキーゾーンの撤去作業=1991年12月

 阪神淡路大震災 (1995年)

 第67回大会(95年)開幕を控えた1月17日に阪神淡路大震災が発生。阪神甲子園球場もスタンドなどに亀裂が入った。主催者は開催の可否を検討し、被災地の首長らの同意を得て開催を決めた。

 「災害復興に寄与する大会」を理念とし、外野フェンスには「復興・勇気・希望」のスローガンを掲出。被災地の兵庫県勢は神港学園、育英、報徳学園の3校がそろって初戦突破した。

67回大会で阪神大震災で亡くなった人たちに黙とうする兵庫3校のナインたち

 21世紀枠を新設 (2001年)

 困難克服校や模範的な姿を実践するチームを選ぶ「21世紀枠」が第73回大会(01年)で新設された。2校が出場し、宜野座(沖縄)が4強入りした。

 前年秋に開催される明治神宮大会の優勝校の所属地区が1枠増加する「神宮大会枠」は現在もあり、過去には補欠校から守備重視で選ぶ「希望枠」が存在した。

73回大会準々決勝で浪速を破りベスト4。喜び合う宜野座の選手たち

 東日本大震災 (2011年)

 第83回大会(11年)直前の3月11日に東日本大震災が起こり、大会中止や順延も検討されたが「がんばろう!日本」をスローガンに開催された。

 抽選会に出席できなかった被災地の東北(宮城)を1回戦最後の試合に割り当てた。アルプススタンドでの鳴り物による応援を自粛し、入場料収入の一部を義援金として被災地に送った。

83回大会【大垣日大7-0東北】震災被災地を励ます大垣日大の生徒・教職員約550人のメッセージが書き込まれた横断幕

 新型コロナウイルス感染拡大で中止 (2020年)

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、第92回大会(20年)は中止となった。無観客での開催を前提に準備を進めたが断念した。同年夏の甲子園大会も戦後初の中止となり、都道府県高野連は独自に大会を開いた。

 日本高野連などは、この年のセンバツに出場予定だった32校に試合機会を設けるため、8月に阪神甲子園球場で「交流試合」を開催。原則無観客で各校1試合ずつ計16試合が行われた。

センバツ中止が伝えられ、涙をぬぐう創成館の選手たち

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センバツ2024
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3月18日、阪神甲子園球場にて開幕! 全国から選ばれた32校が、高校野球の頂点を目指し、熱戦を繰り広げる。
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【主な内容】
・写真で振り返るセンバツ100年
・この選手に注目
・能登半島地震被災地から2校選出
・センバツ行進曲は「愛の花」/あいみょんインタビュー
・出場32校の横顔