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【ニュースがわかる2024年5月号】巻頭特集は10代のための地政学入門

トキ野生復帰15年【ニュース知りたいんジャー】

今年は、日本で最後の野生トキが死んで20年、そして人の手で育てたトキを放鳥し、野生復帰が始まって15年です。新潟・佐渡島で地域を挙げた応援が実り、日本の動物で初めて野生での絶滅からよみがえりました。今、本州でも、人里にトキが舞う姿を取り戻す準備が進んでいます。【山田大輔】


 ◇どんな鳥?


 トキは、くちばしから尾の先までで約75㌢㍍、翼を広げると約140㌢㍍にもなる大きな鳥です。奈良時代に書かれた「日本書紀」にも「桃花鳥」の字で登場します。江戸時代に日本へ来たドイツ人医師・シーボルトが集めた標本から、イギリスの大英博物館の研究者が「ニッポニア・ニッポン」という学名(世界共通の名前)をつけました。でも日本だけでなく、昔は中国や朝鮮半島、ロシアの極東地域にもいて、寒い季節には日本へ渡って来ていたそうです。
 1~6月の繁殖の時期は、オスとメスがペアで暮らします。一緒に高い木の上に巣を作り、卵を温め、ヒナが巣立つまで餌を運びます。羽は「とき色」という淡いピンク色ですが、ペアをつくる「恋の季節」には、首の後ろから出る黒い物を自分でこすりつけて、体を黒くします。他の鳥はしない珍しい行動です。相手に小枝などを差し出して、相性が良ければ一緒にくわえる「枝渡し」も求愛行動の一つ。他の時期は数羽~十数羽の群れで生活します。


 ◇どうして絶滅したの?


 かつては日本中にいたトキですが、猟銃が広まった明治時代、美しい羽や肉が狙われ、捕り尽くされました。トキは肉食で、ドジョウやカエル、ミミズなどが好物です。このため巣を作れる高い木が近くにある、人里の田んぼは良い餌場ですが、農家にとっては田んぼを踏み荒らす害鳥でもありました。人々が気づいた時にはトキの姿はなく、1920年代に一度絶滅したと思われていました。
 70年には本州最後のトキが石川県穴水町で捕獲され、生息地は新潟県の佐渡島だけになりました。国は、絶滅を止める最後の手段として、生き残りのトキを捕まえて人工的に増やす方針を決めます。81年までに、島内のトキを全て捕獲しました。
 この年、中国の陝西省(省都西安)は昔の長安)で野生トキ7羽が発見されました。遺伝的には同じトキなので、日中両国で貸し借りして、繁殖を試みました。しかし、最後のオス「ミドリ」は95年に急死。メスの「キン」も2003年10月に死んで、日本の野生トキは絶滅しました。


 ◇復活へのきっかけは?


 キンは推定36歳、人間なら100歳にあたるほどの「大往生」でした。ヒナは産めませんでしたが、キンがもっと早く死んでいたら日本のトキは永遠に復活しなかったかもしれません。
 きっかけは、日本のトキがキン1羽だけになっていた1998年11月に訪れました。日中平和友好条約ができて20年に合わせて来日した中国トップの江沢民国家主席(当時)が「友好の証し」として、日本にトキを贈ると述べたのです。2か月後、人工繁殖した「友友(ヨウヨウ)」「洋洋(ヤンヤン)」の2羽が佐渡に着きました。当時新潟県知事だった平山征夫さんの熱心な交渉が実りました。中国にとっても貴重なトキを贈るという判断は、日本にまだキンが生きていて、長く育てて経験を積んできたことが背景にあるのでしょう。
 2羽が産んだ卵で日本初の人工ふ化が成功し、99年にオスの「優優(ユウユウ)」が誕生しました。その翌年、中国から来たメスと優優がペアになって繁殖が加速し、飼育するトキが100羽を超えた2008年9月、再び野生に返す放鳥が始まりました。


 ◇今はどうなったの?


 病気などでトキが全滅してしまわないよう、東京都や石川県、島根県を含む全国7施設に分けて、「分散飼育」をしています。今年8月時点の飼育数は計181羽。優優の誕生から25年間で、874羽のひなが生まれ、08年から今年8月までに計475羽が放鳥されました。
 さらに佐渡島の野生のトキは、22年末時点で推定545羽に。うち7割の推定382羽は、放鳥でなく、自然界で生まれ育った「純野生」です。環境省の速報によると、今年も観察中の115ペアが巣作りし、ひな34羽が巣立ちました。観察されなかったものも含めると、実際はもっと多そうです。
 国は19年、「野生絶滅」の評価をやめました。「国の特別天然記念物を死なせてはならない」というプレッシャーの中、あきらめずに飼育や保護に尽くしてきた人たちの努力が実りました。


 ◇佐渡島から広がるの?

 トキのすむ環境を守るため、佐渡島では農薬や化学肥料を半分に減らし、冬も田んぼに水を張って餌になる生き物を増やすなど、「生きものを育む農法」が広がっています。こうした農法で作ったコシヒカリだけをブランド米「朱鷺と暮らす郷」と認める制度も、07年にできました。トキと共生する人里の姿は、世界的に重要だとして11年、日本で最初の「世界農業遺産」に認定されました。
 しかし、佐渡島だけでは将来、環境が大きく変化した時に心配です。そこで国は21年、本州でも野生復帰に取り組むと決め、22年8月に島根県出雲市と、石川県・能登半島の9市町を放鳥の候補地に選びました。出雲市では11年から分散飼育が続き、能登半島は本州最後の野生トキがいた土地です。さらに、もしトキが飛んで行ってもすめるよう、環境を整えておく地域として、宮城県登米市など6県の20市町も選ばれました。
 佐渡島をお手本に、人と生き物が共生する里づくりが広がって、30~35年ごろ、本州でも野生トキが暮らすことを目指しています。(2023年11月01日毎日小学生新聞より)