しばられ地蔵で有名な東京都葛飾区の業平山南蔵院副住職で、臨床心理士でもある日吉円順さんに素朴な疑問をぶつける【教えてお坊さん】。今回は「天国」について話を聞きました。
まず「天国」と呼ばれるものは、実は仏教ではなく、キリスト教の教えに出てくる表現ですね。キリスト教では、天国の神様が御子である主イエス・キリストを救い主としてこの世に遣わせた、とされています。
では、仏教には所謂「天国」のようなところが無いのかというと、そうではありません。仏教では、「極楽浄土」と呼ばれる場所があります。私たち(衆生)が暮らしているこの世は、煩悩(貪・瞋・痴)に満ちあふれた世界であり、生きていると必ず苦しみに出会う場所(一切皆苦)です。世の中には様々な苦しみがあり、すべて自分の思い通りにいくような場所ではありません。しかしながら、仏さまを信じる事により、すべての存在があらゆる苦しみから解放(解脱)され、極楽浄土に至ることができる、とされています。お経の中には、極楽浄土は西方のはるか彼方にあり、そこには阿弥陀如来さまがおられ、「一切苦しみがなく安楽な世界が広がっている場所」とされ、心地よい仏さまの声が響き渡り、辺りには素晴らしい香りが漂い、宮殿や楼閣がそびえ立ち、宝珠の池や蓮華が咲き乱れている場所と説かれています。
キリスト教では、神様、天国は空の彼方にあるような上下、垂直軸のイメージがありますが、仏教では比較的水平軸に世界観が築かれているのが特徴的なところかな、と個人的には感じています。これは、中世の西洋絵画と、仏教壁画などを見比べると分かりやすいかもしれません。キリスト教では、人は神様にはなり得ませんが、仏教では、「悉有仏性」、誰しもが仏になることができ極楽浄土に到達できる、という教えですので、その点は非常にユニークなところかもしれませんね。
話を聞いたひと
日吉円順(ひよし・えんじゅん)さん
天台宗業平山南蔵院副住職。臨床心理士・公認心理師。教誨師。大学院修了後、東京慈恵会医科大学病院緩和ケア科をはじめ都内近郊の総合病院にて臨床勤務した経験を活かし、がん患者さんの心のケア、認知症高齢者のケア、瞑想法の研究実践、受刑者への教誨活動、葬儀、グリーフケアなど多様な臨床活動を行っている。 近年は、地域社会の人々がお寺をとおして繋がりや絆を再発見できる、専門家による相談サロン「まどかプロジェクト-madocaproject-」を立ち上げ、地域活動の場を広げている。
円順さんが勤めている南蔵院について詳しく知りたい人はhttp://shibararejizo.or.jp/index.htmlまで