香港がイギリスから中国に返還されてから、7月1日で25年になります。「返還から50年は変わらない」とされていた、社会のしくみや人びとの生活が大きく変わろうとしています。香港は、今後どうなっていくのでしょうか。中国社会に詳しい東京大学教授の阿古智子さんに、知りたいんジャーが聞きました。【田村彰子】
◇香港ってどんなところ?
中国の中には、政治や経済のしくみが広大な本土とは違う「特別行政区」という場所が2か所あります。その一つが香港で、もう一つがマカオです。
香港には独自の議会や裁判所があります。お金も、中国本土の「人民元」ではなく「香港ドル」が使われています。人口は約747万人(2020年現在)、面積は約1100平方㌔㍍で東京都の約半分ですが、人が住んでいるのはその一部なので人口密度がとても高い都市です。1997年に中国に返還されるまで約150年にわたり、イギリスの植民地でした。その間に貿易や金融の拠点として発展し、世界の物やお金が集まる場所になったのです。
◇中国との関係は?
中国はイギリスから返還されて50年間は、香港の経済のしくみを中国に合わせず、そのままにすることにしました。また、香港のことは香港の人に任せるという「高度な自治」も約束しました。これを「1国2制度」といいます。
中国は「社会主義」で、国が経済の計画を立て実行します。これに対し、香港はかつての宗主国だったイギリスや日本などと同じ「資本主義」で、民間企業が自由にお金もうけをできます。社会のしくみが全く違います。しかし、返還後の2000年代以降、中国の影響が強まる「中国化」が進みました。政治では、中国政府が香港を管理する姿勢に変わりました。中国政府の方針に従う香港政府に対し、市民が反発を強めたことが背景にあります。
◇香港の人はいつから抗議をしているの?
「返還後すぐは、大きな抗議活動はありませんでした」と阿古さんは話します。返還後に中国の経済が急激に成長したため、「経済とともに政治も開かれていくのではないかと思った人が多かった」といいます。しかし、中国側の締め付けはどんどん厳しくなるばかりでした。こうした状況の中、香港の人たちは民主化運動や抗議デモをするようになります。
民主的な選挙制度の実現を目指した14年の「雨傘運動」や、香港政府が中国本土などとの間で犯罪の容疑者を引き渡せるようにするルールの見直し「逃亡犯条例改正案」に反対するデモは、大規模なものとなりました。
◇香港国家安全維持法って?
中国とイギリスの合意を基に作られた、香港の憲法は「香港基本法」です。それによって香港の法律は独自の議会(立法会)で決めると定められています。しかし20年、「立法会の議決はいらない」と中国の国会にあたる全国人民代表大会(全人代)常務委員会が、強引な手法で香港国家安全維持法(国安法)を成立させました。
国安法では、①国家の分裂②中国政府の転覆③テロ活動④外国勢力との結託――の四つを犯罪行為と定めていますが、香港市民のどんな行動がそれに当てはまるのかは不明です。これまで中国当局者が香港市民の犯罪の捜査や刑事手続きをすることはできませんでしたが、この法律でできるようにしてしまいました。「香港では、基本法よりこの国安法が強い力を持ち、1国2制度は崩されてしまいました」と阿古さんは話します。
◇これからどうなっていくの?
国安法が施行されてから2年がたち、香港市民の自由や権利は急速に失われています。「1国2制度は、返還から50年を待たずに崩壊してしまいました」と阿古さんは言います。民主活動家は国安法で次々と逮捕され、香港の街ではデモが見られなくなりました。
立法会選挙では以前、民主派の議員が議席の約4割を占めることもありました。しかし、選挙制度が変わって中国側が「愛国者」と認めた人しか選挙に出られなくなり、民主派は議会から締め出されてしまいました。阿古さんは「中国国内では内陸部の新疆ウイグル自治区をはじめ、言論が統制され自由を奪う手法があちこちで取られています。中国が変わらなければ、香港の人たちの人間らしい生き方がどんどん失われていきます」と話し、「それは国際社会にとって決して無関係なことではないのです」と説明しています。
(2022年06月29日掲載毎日小学生新聞より)