東西冷戦 今も残る分断の影【ニュース知りたいんジャー】

ロシアのウクライナ侵攻が続く中、「東西冷戦」という言葉をニュースでよく見ませんか? ロシアは、かつて同じソ連の一員だったウクライナに、「北大西洋条約機構(NATO)に加盟するな」と強く求めています。NATOも冷戦時代の産物です。東西冷戦って何なのか、上智大学の宮城大蔵教授に知りたいんジャーが聞きました。【田村彰子】


 ◇「東西」って何のこと?


 話は第二次世界大戦にさかのぼります。ナチス・ドイツなどを倒すため、アメリカとソ連(ロシアなどの前身)は協力し、1945年に勝ちました。アメリカは誰でも財産を持ち、自由に競争してお金をもうけていい「資本主義」の国。一方ソ連は、それでは貧富の差が広がるとして財産を共有にし、政府が経済活動を運営する「社会主義」の国です。社会の仕組みや理想の姿が違いすぎ、戦後、対立を深めていきます。
 戦争で荒れはてた東ヨーロッパでは、社会主義を掲げてソ連にならう国が次々と誕生しました。宮城さんは「フランスやイタリアでも、選挙でソ連のような国になる可能性が高まっていました」とその勢いを説明します。危機感を持ったアメリカは、「マーシャルプラン」という大規模な経済援助で西ヨーロッパの国々の復興を助け、ソ連の勢力拡大を防ごうとしまヨーロッパを東西に分けた争いとなり、「東西冷戦」と呼ばれました。特に敗戦国ドイツは49年、西側(資本主義の国々)の西ドイツと、東側(社会主義の国々)の東ドイツに分割されました。首都ベルリンも分断され、61年には西側が支配する西ベルリンを取り囲む「ベルリンの壁」が造られて、人の行き来阻む冷戦の象徴になりました。


 ◇なんで「冷戦」って言うの?


 アメリカとソ連は直接、戦争はしませんでしたが、核兵器の量産や外交、宇宙開発、スポーツまでさまざまな場面で対抗しました。戦火を交えない戦いを、アメリカのジャーナリスト、ウォルター・リップマンが47年に「コールド・ウオー(冷たい戦争)」と呼び、それが定着したのです。
 ヨーロッパでは49年、西側諸国の安全を守る軍事同盟として「北大西洋条約機構(NATO)」が生まれ、対する東側諸国が55年に「ワルシャワ条約機構」を作って軍事力で向き合いました。
 冷戦は世界を分断しました。戦後、アジアやアフリカでは植民地から独立する国々が相次いで生まれましたが、「独立後、資本主義と社会主義のどちらの方法で国造りをしていくかを選ぶことで、東側と西側に分かれ、争いが世界に広がったのです」と宮城さんは話します。独立したばかりの若い国にとって、どちらの陣営に入ればより多く支援を受けられるかは、切実な問題でした。朝鮮半島やベトナムでは、国土を二分した悲惨な戦争が起きました。


 ◇冷戦が激しかったのはいつ?


 アメリカとソ連の争いは激しさを増し、何千もの核兵器を造ってにらみ合いました。「あと少しで直接衝突する戦争になりそうだったのは、62年のキューバ危機の時です」と宮城さんは話します。
 カリブ海の島国キューバは、海を隔ててアメリカから150㌔㍍ほどと近く、アメリカの「裏庭」などと言われます。そのキューバで59年に革命が起き、アメリカ寄りの独裁政権が倒されて社会主義の国になりました。60年にソ連と国交を結び、アメリカは61年に国交を断絶します。ソ連はそこにミサイルを置こうとしたのです。
 アメリカのケネディ大統領(当時)がテレビ演説で「ソ連がミサイル基地を建設中」と発表、撤去を求めて軍艦で海を一時封鎖し、核戦争の一歩手前の事態になりました。最終的にソ連が撤去に応じて戦争は避けられましたが、宮城さんは「後の資料で、本当にギリギリだったことが明らかになっています」と言います。


 ◇冷戦はいつ終わったの?


 西側諸国が自由競争で発展する一方、東側諸国は政府による計画経済が滞り、圧政に不満を抱く人たちの抵抗が強まっていました。そんな中、東ドイツ政府が89年11月9日夜、市民が西側へ旅行できるようにする、と発表しました。ニュースを聞いた大勢の東ベルリン市民が西ベルリンに入ろうと押し寄せ、長年人々を隔ててきた「ベルリンの壁」が一夜で崩壊しました。前後して東側の国々で民主化が進み、当時ソ連の最高責任者だったゴルバチョフ書記長とアメリカのブッシュ(父)大統領が翌12月、地中海のマルタ島で会談します。2人は「新しい時代の到来」を告げ、冷戦終結を宣言しました。
 91年にソ連は崩壊し、東西対決は終わりましたが、グローバル化が進む一方でアメリカや中国、ロシアなどの大国が競い合う世界になりました。NATOはそのまま残り、92年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争など加盟国以外の紛争にも「人道的介入」を掲げて軍事行動を取るようになりました。ロシアの圧力から逃れるため、旧東側諸国が次々と加盟し、冷戦時代は中立を保ち続けた北ヨーロッパのフィンランドとスウェーデンも、ロシアのウクライナ侵攻を受けて5月、加盟申請しました。


 ◇日本はどうしてたの?


 アメリカとソ連の対立が激しさを増す中、戦後日本は国の安全を守る安全保障をアメリカに頼り、資本主義の下で経済発展しました。しかし、日本が「西側の一員」の立場をはっきりさせたのは、そんなに早い時期からではなかったといいます。
 「西側は資本主義の国の集まりではありましたが、その中心であるアメリカと西ヨーロッパはNATOとして、ソ連に対抗する軍事的な同盟関係にありました。このため、憲法で戦力を持たないなどと明記している日本は、核戦争にもつながりかねない中、西側の一員だと口にしづらい状況だったのです」と宮城さんは説明します。
 しかし80年、西側諸国がソ連のアフガニスタン侵攻(79年)に抗議してモスクワ・オリンピックをボイコットすると、当時の大平正芳総理大臣が日本も不参加を決めました。中曽根康弘総理大臣(82~87年)が「西側の一員」の立場をはっきり示すようになったのは、もう冷戦時代末期のことでした。(2022年06月01日掲載毎日小学生新聞より)