アニマルウェルフェアを学ぶ【月刊ニュースがわかる6月号】

普通選挙 法律ができて100年【ニュース知りたいんジャー】

普通選挙法ふつうせんきょほうが1925ねん月5日がついつか公布こうふされてから、今年ことしで100ねんむかえました。身分みぶん納税額のうぜいがく関係かんけいなく、一定いってい年齢ねんれいになったらだれもが選挙せんきょ参加さんかできる制度せいどを「普通選挙ふつうせんきょ」といいます。現在げんざいでは18歳以上さいいじょう男女だんじょ選挙権せんきょけんがありますが、これはなが年月ねんげつをかけてれた権利けんりです。りたいんジャーと、選挙権せんきょけん歴史れきしかえってみましょう。

はじめての選挙せんきょは?

 まず、選挙権せんきょけんができるまでの歴史れきしをおさらいします。

 江戸幕府えどばくふたおれ、1868ねん明治政府めいじせいふができました。西洋せいようにならってつよ国家こっか目指めざしますが、江戸幕府えどばくふたおした薩摩藩さつまはんいま鹿児島県かごしまけん)や長州藩ちょうしゅうはんいま山口県やまぐちけん出身しゅっしん政治家せいじか政府せいふ重要じゅうよう役職やくしょくめ、実権じっけんにぎりました。そんな藩閥政治にたいして、板垣退助いたがきたいすけらが国会こっかい開設かいせつ憲法けんぽう制定せいていなどをもとめて自由民権運動じゆうみんけんうんどうこしました。

 そして1889ねん大日本帝国憲法だいにっぽんていこくけんぽうができ、国民こくみんなかからえらばれた議員ぎいんはな国会こっかいひらかれます。大日本帝国憲法だいにっぽんていこくけんぽうでは、国会こっかい貴族院きぞくいん衆議院しゅうぎいん構成こうせいされました。貴族院きぞくいん議員ぎいんは、皇族こうぞく華族かぞく軍人ぐんじん学者がくしゃ高額納税者こうがくのうぜいしゃなどでした。そして衆議院しゅうぎいん議員ぎいんえらぶために、1890ねんはじめて選挙せんきょおこなわれました。

 選挙権せんきょけんは、みんなの代表だいひょう選挙せんきょえらぶことができる権利けんりです。ただ当時とうじ選挙権せんきょけんがあるのは「税金ぜいきんを15円以上えんいじょうおさめているまん25歳以上さいいじょう男性だんせい」にかぎられました。このころの15えんは、いまの60まん~70万円まんえんほどに相当そうとうする高額こうがくでした。このため有権者ゆうけんしゃは、当時とうじ人口じんこうの1.1%にあたる45万人まんにんしかいませんでした。

大正たいしょうデモクラシーって?

 大正時代たいしょうじだいになると、普通選挙ふつうせんきょもとめる運動うんどう大正たいしょうデモクラシー」がおこりました。デモクラシーとは民主主義みんしゅしゅぎのことです。

 日本にっぽん日露戦争にちろせんそう(1904~1905ねん)でおおくの犠牲ぎせいはらいながらもロシアから賠償金ばいしょうきんることができず、政府せいふたいして国民こくみん不満ふまんたかまりました。ロシアにったことで大国たいこく仲間入なかまいりをたし、国民こくみんこえげるようになります。

 大正たいしょうデモクラシーの先頭せんとうったのが、1890ねん選挙せんきょ当選とうせんした衆議院議員しゅうぎいんぎいん尾崎行雄おざきゆきおです。大正たいしょうになった直後ちょくごの1912ねん長州藩出身ちょうしゅうはんしゅっしん桂太郎内閣かつらたろうないかく成立せいりつします。その背後はいごおなじく長州藩出身ちょうしゅうはんしゅっしん山県有朋やまがたありとも元老げんろうとして、政治せいじおおきな影響えいきょうあたえました。そんな藩閥政治はんばつせいじ尾崎おざき批判ひはんし、桂内閣かつらないかく退陣たいじんまれます。また、政治学者せいじがくしゃ吉野作造よしのさくぞうも、普通選挙ふつうせんきょ政党内閣せいとうないかく実現じつげんもとめました。

 選挙権せんきょけんられる納税額のうぜいがくは、1900ねんに「10円以上えんいじょう」に、1919ねんに「3円以上えんいじょう」と改正かいせいされます。そして1925ねんに、納税額のうぜいがくかかわらず25歳以上さいいじょうすべての男子だんし選挙権せんきょけんあたえる「普通選挙法ふつうせんきょほう」が制定せいていされました。1928ねん普通選挙法ふつうせんきょほうによるはじめての衆議院議員選挙しゅうぎいんぎいんせんきょおこなわれました。有権者ゆうけんしゃ人口じんこうの20%、およそ1240万人まんにんえました。

大阪で行われた、普通選挙を要求するデモの先頭に立つ尾崎行雄=1919年

初の普通選挙が行われ、投票所には訪れた人の長い行列ができました=1928年

女性じょせい選挙権せんきょけんは?

 ただ、普通選挙法ふつうせんきょほう制定せいていされても、女性じょせいには選挙権せんきょけんあたえられませんでした。そんななか市川房枝いちかわふさえは、女性じょせい選挙権せんきょけん獲得かくとくするために奮闘ふんとうしました。

 1919ねん平塚ひらつからいてうたちと「新婦人協会しんふじんきょうかい」を設立せつりつし、婦人ふじん政治せいじ参加さんかする権利けんり要求ようきゅうする「婦選運動ふせんうんどう」をおこないました。1945ねんがつ終戦直後しゅうせんちょくごには、政府せいふ女性参政権じょせいさんせいけんなどをもうれました。11がつには「新日本婦人同盟しんにほんふじんどうめい」が誕生たんじょうします。日本にっぽん民主化みんしゅかすすめていた連合国軍総司令部れんごうこくぐんそうしれいぶ(GHQ)も、女性じょせい社会的地位しゃかいてきちい向上こうじょう目指めざす「女性じょせい解放かいほう」をふく五大改革ごだいかいかく日本政府にっぽんせいふしました。

 そして、このとし法律ほうりつ改正かいせいされ、「20歳以上さいいじょう男女だんじょ」に選挙権せんきょけんあたえられました。翌年よくねん衆議院議員選挙しゅうぎいんぎいんせんきょでは、女性じょせいはじめて投票とうひょうしました。さらに、この選挙せんきょには全国ぜんこくおおくの女性じょせい立候補りっこうほして、39にん当選とうせんしました。

女性の選挙権獲得を訴える市川房枝=1929年

 70ねんぶりに年齢ねんれい

 選挙権せんきょけんてる年齢ねんれいが、2016ねんに「20歳以上さいいじょう」から「18歳以上さいいじょう」にげられました。有権者数ゆうけんしゃすうは、人口じんこうの83.3%にあたる1おく620万人まんにんになりました。選挙権年齢せんきょけんねんれいげは70ねんぶりでした。

 海外かいがいでは「18歳以上さいいじょう」が主流しゅりゅうです。国立国会図書館こくりつこっかいとしょかん調査ちょうさ(2015年発表ねんはっぴょう)によると、189のくに地域ちいきのうち、9割以上わりいじょう日本にっぽん衆議院しゅうぎいんたる下院かいん選挙権年齢せんきょけんねんれいを「18歳以上さいいじょう」とさだめています。オーストリア、アルゼンチン、キューバ、ブラジルなどは16歳以上さいいじょうです。ヨーロッパではげるうごきがひろがり、ベルギー、ドイツで16歳以上さいいじょうげられました。

有権者ゆうけんしゃえたけれど投票率とうひょうりつは?

 国会議員こっかいぎいんえらぶ「国政選挙こくせいせんきょ」で、一番最近いちばんさいきんあった2024ねん10がつ衆議院議員選挙しゅうぎいんぎいんせんきょ投票率とうひょうりつは、53.85%でした。これは戦後せんご番目ばんめひくさでした。

 衆議院議員選挙しゅうぎいんぎいんせんきょ投票率とうひょうりつ選挙区せんきょく)は、1980年代ねんだいごろまでは70%前後ぜんご推移すいいしていました。それが、1996ねんはじめて60%をみました。2005ねんと2009ねんは65%をえましたが、2012、2014、2017、2021、2024ねんと5回連続かいれんぞくで50%だいでした。年齢別ねんれいべつると、わかひとほどひくく、年齢ねんれいがるほどたかくなる傾向けいこうがあります。2024ねん衆議院議員選挙しゅうぎいんぎいんせんきょでは、20代前半だいぜんはんが30.99%だったのにたいし、70代前半だいぜんはんは70.47%と、やく40ポイントものひらきがありました。

 一方いっぽう参議院議員選挙さんぎいんぎいんせんきょ投票率とうひょうりつは、2022ねんが52.05%でした。これは、過去かこ番目ばんめひくさでした。

(2025ねん月7日がつなのか 毎日小学生新聞まいにちしょうがくせいしんぶんより)

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