今から30年前の1995年3月20日に、オウム真理教という宗教団体による「地下鉄サリン事件」が起きました。通勤ラッシュで混雑する東京都内の地下鉄に猛毒のサリンがまかれ、乗客や駅員ら14人が死亡、6300人が重軽傷を負い、今も後遺症に苦しむ人がいます。大都市で、一般市民に化学兵器が使われたテロ事件は、世界に大きな衝撃を与えました。
3月20日の午前8時ごろ、東京の営団地下鉄(今の東京メトロ)霞ケ関駅に向かう日比谷、丸ノ内、千代田の3路線の五つの電車内で、オウム真理教の信者5人が猛毒のサリンをまきました。液体のサリンの入ったビニール袋を傘の先でつつき、気体になったサリンが車両に充満したことで、乗客が次々と倒れました。乗客ら14人が亡くなりました(うち1人は25年間サリンの後遺症に苦しみ、2020年に亡くなりました)。手当てを受ける人が路上にあふれる様子は、人々に大きな衝撃を与えました。
霞が関には、財務省(当時は大蔵省)や外務省、経済産業省(当時は通商産業省)などの国の役所が集中しています。オウム真理教が起こした事件に対する警察の捜査が近く行われることを知った教団が、捜査の妨害を狙って事件を起こしました。

6000人以上が負傷し、路上で手当てを受けた人たちもいた
第二次世界大戦中にドイツが開発した毒ガスです。自然界には存在しません。体内に吸収されると神経から筋肉への情報の伝達を妨げるため、呼吸障害や筋肉の収縮、目の中心にある瞳孔の収縮などを起こす「神経ガス」の一種です。
毒性は非常に強く、致死量は体重1キログラムに対し、0.01ミリグラム。1立方メートルに100ミリグラムを含んだ空気に「1分間さらされるとその半数が死亡」するといわれます。国際連合の化学兵器禁止条約で、開発や生産、取得、保有などが禁止されています。
教団は山梨県に大規模な施設を建設し、医学や化学の専門知識を持った教団の幹部らが中心となってサリンを製造していました。サリンよりさらに強力な毒性をもつVXガスを使用したことも確認されています。

地下鉄丸ノ内線の車内で、防護マスクを着けてサリンの除染をする陸上自衛隊の部隊=陸上自衛隊提供
1984年にヨガのサークルとして松本智津夫元死刑囚が設立しました。松本元死刑囚は教祖として「麻原彰晃」と名乗っていました。「修行すれば超能力者になれる」などと説き、1万人の信者がいた時もあります。
信者には、大学で優秀な成績だった人も多く、「研究を続けていれば世界の物理学が進歩した」と期待されたエリートや、事件を起こしたメンバーには、医者や弁護士もいました。
地下鉄サリン事件の前にも数々の事件を起こしていましたが、教団が宗教活動を装っていたため「警察活動は慎重になった」と警察幹部のOBは話しています。
オウム真理教は裁判所の命令で解散しましたが、「アレフ」と名前を変え、わかれてできた「ひかりの輪」とともに宗教活動を続けています。

松本智津夫元死刑囚
オウム真理教は、地下鉄サリン事件の他にも数々の事件を起こしています。松本智津夫元死刑囚が有罪判決を受けた13の事件で27人が殺され、6000人を超える人がけがをしました。
1989年には、教団の被害者を支援していた坂本堤弁護士とその妻の都子さん、息子で1歳の龍彦ちゃんを殺害しました。94年には、教団関係の裁判を担当する裁判官が住む官舎を狙い、長野県松本市でサリンをまいて8人を死亡させ約590人に重軽傷を負わせました。
事件に関連して、松本元死刑囚を含む13人が死刑判決を受け、2018年7月に全員の死刑が執行されています。

山梨県にある教団の施設でサリンが製造されていた(写真は警察の捜査後に報道陣に公開された様子)
事件から時間がたっても、後遺症に苦しむ人がいます。営団地下鉄の中野坂上駅でサリンを吸い込み、重い後遺症で寝たきりになった浅川幸子さんは、25年の闘病生活を続け、2020年に亡くなりました。
被害者を支援するNPO法人の「リカバリー・サポート・センター」が行ったアンケートでは、23年時点で、回答した195人のうち約6割が「目が疲れやすい」という不調を訴えています。この数字は事件の5年後と近い割合で、サリンの後遺症が続いているとみられます。「外では常にサングラスが必要」と答えた人もいました。他に、「疲れやすい」「だるい」などの不調を訴える人もいます。また「地下鉄や事件現場に近づけない」という人も17.4%いて、事件が深い傷となって心にも被害を与え続けています。
(2025年3月19日 毎日小学生新聞より)
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