あきらめの悪いランナーが銅メダリストになるまで(後編)

※前編はこちら

小学生の頃にダイエットを目的にマラソンをはじめ、中学、高校、そして自衛隊で競技に取り組みながらも、なかなか満足できる結果を残すことができないまま、事故で障害を負ってしまった永田務(ながた つとむ)選手。しかし、それでも走ることをあきらめませんでした。

永田選手が事故後に本格的に取り組んだのは100kmという長い距離を走る、ウルトラマラソンという競技。実は、ウルトラマラソンのレースには事故で重傷を負う前の2010年6月と10月にも挑戦していたのですが、2度ともリタイアしてしまいました。

「自衛隊を除隊した後、トレーニングを続けながらも思うようにタイムを縮めることができずに苦しんでいた時に、たまたま見た雑誌でウルトラマラソンという競技を知り、そのウルトラマラソンには世界選手権があり、日本代表が世界選手権で活躍していることを知りました。この競技なら日本代表になり世界でも活躍できるのではないかと思いレースに参加したのですが、事故前に走った2度のレースでは完走すらできずボロボロになってリタイアしてしまっていたんです。そして、2度目のレースの後にケガをしてしまいました。ケガが回復し、また走り始めようとしたとき、“ケガをする前は完走できなかった、あの100kmマラソンを完走したい”と思い、本格的に100kmマラソンに取り組むようになりました」と永田選手は話します。

ケガからの回復後、本格的にウルトラマラソンに取り組んだ永田選手は、事故のわずか2年半後に素晴らしい成績を残します。2013年6月に北海道で開催されたサロマ湖100kmウルトラマラソンで、6時間44分33秒というタイムで3位となり、なんと世界ランキング5位にランクされたのです。

もちろんこのレースには健常者と一緒に同じ条件で参加しています。その後も永田選手はいくつかのウルトラマラソンの大会に参加し、2015年6月に開催された同じサロマ湖100kmウルトラマラソンでは6時間36分39秒の自己ベストで2位となり、その年9月にオランダで開催されたIAU100km世界選手権に日本代表として出場。また、永田選手は100km以外にトレイルランニングの大会にも参加し、2014年1月にアメリカのアリゾナ州で開催された100マイル・トレイルレースで2位入賞するなどの成績も残しました。さらに、驚くべきことにフルマラソンでは事故後の2015年に自己ベストを更新しているのです。

事故で障害を負いながらも、健常者と一緒にウルトラマラソンやトレイルランニンに取り組んでいた永田選手は、なぜパラリンピックを目指すことになったのだでしょうか。きっかけは2019年、結婚を機に数年間暮らしていた東京から新潟県に移り住み、現在も勤めている新潟県障害者交流センターで働き始めたことでした。障害をもつ方がリハビリをしたり、運動をしたりする施設の職員として働くことになった永田選手は、職場の上司から「障害者の陸上大会に出てみないか」と勧められます。そして、障害者の大会に出場するために障害のクラス分けをする検査を受けたところ、永田選手の障害は東京パラリンピックで1500mとフルマラソンの競技があるT46クラスに分類されることが分かり、パラリンピックを目指すことになったのです。

永田選手が東京パラリンピックの日本代表に決定したのは、2021年2月に開催されたびわ湖毎日マラソンでした。この大会は永田選手がT46のクラス分けを受けてから初めて走る公認レース。永田選手はこの大会で2時間25分23秒のアジア新記録を樹立、一躍メダル候補として注目されます。

そして2021年9月5日、東京パラリンピックでフルマラソンを走った永田選手は2時間29分33秒で3位となり、銅メダルを獲得。

「それまでも規模の大きな大会で走ったことはあったので、実際にパラリンピック本番で走る前までは特別な感情はありませんでした。コロナ禍のなかで開催された大会でもあったので沿道の観客も少ないのではないかと思っていました。しかし、実際に走ってみると沿道からたくさん応援の声をかけてもらい、不思議な感覚でした。また同時に、これでもし自分がメダルを取ることができなかったらどうなるんだろう、今まで支えてくれた人達や応援してくれた人達に申し訳ない、レース後に“おめでとう”ではなく“お疲れ様”という言葉をかけられる悔しさは味わいたくない、周囲からも金メダルへの期待をかけてもらっている中で銅メダルすら持ち帰れなければ、今後誰も自分を相手にしてくれないのではないか、自分の競技人生は終わってしまうのではないかと思うとこわかったんです」

ゴール直後のインタビューで永田選手が発した「こわかったです」という第一声は、パラリンピックのレース当日に沿道で応援してくれた人達はもちろん、高校や自衛隊、そして事故で大ケガを負ってしまった後の競技生活を支えてくれた多くの人達の期待を裏切るわけにはいかないという想いから出た言葉だったのです。

最後に『Newsがわかるオンライン』を読んでくれている小中学生へのメッセージをお願いすると、永田選手は「僕は自分の不注意でケガをして両親をとても悲しませてしまった。自分にも事故の後に娘が生まれたので、もし自分の子どもがケガをして障害が残ってしまったらどんなに悲しいだろうかと思う。パラリンピックでメダルを取ったからといって、両親を悲しませた穴を埋められたなんて思えない。だから読者の子ども達にはまずは健康第一でいて欲しい。そして、勉強でも運動でも何でもいいので頑張れるものを見つけてほしい。」と語ってくれました。

今後、永田選手はフルマラソンでの自己ベスト更新、T46クラスでのアジア記録の更新を目指し、トラックでスピードを高めるトレーニングを積んでいきたいと話します。今後の永田選手の活躍に期待しましょう。(編集部)