東日本大震災は発生から11年がたち、もはや、子どもたちにとって実感のともなわないできごとになっています。この、みぞうの災害を風化させることなく、教訓を生かしていかなければなりません。
小学5年生での被災体験を語り伝えている、大学3年生の雁部那由多さん(22)に話を聞きました。(ニュースがわかる2022年4月号より)
目の前で人が津波に
2011年3月11日に東日本大震災が起き、仕事中の父を除く家族と大曲小に避難した雁部さん。1階の昇降口で津波におそわれ、近くにいた大人たちがさらわれていくさまを目の当たりにしました。命からがら、3階の図書室までかけ上がりました。
――東日本大震災で最も強烈だった記憶は何ですか?
雁部さん 目の前で人の命がなくなっていく光景です。たった数メートルから十数メートル、高さ20〜30センチくらいの差で、子どもが生き残って大人が死ぬという状況が生まれうることが衝撃として残りました。ぼくが一番伝えたいことは、命が失われる可能性はいつ何時でもあるということです。
震災は小学校生活を一変させました。家がこわれたり、身内が亡くなったりした子と被害がなかった子の間に溝が生まれ、格差がうきぼりになりました。友人関係がぎくしゃくし、先生から震災の話をすることを止められました。
――震災の体験を語りはじめたきっかけは何ですか?
雁部さん もともと被災体験を積極的に話すことはありませんでした。自分の話でだれかを傷つけてしまうのではないかというこわさがあったからです。でも、言葉にして吐き出してみたら気持ちが軽くなった。重荷を少し分散させることができたような気がしました。自分の体験を知っている人がいるのは、心強い支えになるものだと思いました。
被災地の子が震災を知らない
高校生で語り部を始めた雁部さんに、目の前で津波にあって亡くなった男性の妻から連絡が入りました。雁部さんは助けられなかったことへの申しわけなさでいっぱいでしたが、「語りの中で夫を生かしてくれてありがとう」と言われ、伝えていくことの意味を知りました。