誰もが一度は抱いたことのあるような問いについて、4人の哲学者が、子どもたちとともに考え進めていくという形で書かれた『子どもの哲学 考えることをはじめた君へ』(毎日新聞出版刊)。大人も子どももいっしょになって、ゆっくりと考えてみませんか。本書から一部をご紹介します。本書のもとになった「てつがくカフェ」は、毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中です。
宇宙にも終わりはある……コーノくん
あるよ。地球にも宇宙にも、誕生と死がある。現在の物理学の予測では、太陽はいまから五十億年後くらいからどんどん大きくなって、水星と金星は太陽にのみ込まれてしまうらしい。太陽の膨張は地球までは達しないかもしれないけれど、それでも大きくなった太陽はすごく熱くなり、地球には生物が棲めなくなる。
もし地球が太陽にのみ込まれなかったとしても、多くの科学者によれば、宇宙全体に終わりがある。宇宙の終わりについては、すごい高温になるとか、すごい低温になるとか、小さな点にまで収縮してしまうといった、いろいろな意見に分かれるけれど、いずれにしても宇宙そのものがなくなるので、地球もなくなる。
これらのことは科学者の予測に過ぎないので、変わる可能性もある。でもいまって、人類が誕生してから、まだ約五〇〇万年しか経っていない。五十億年って、君が死んでからはるかずっと先の話だよ。
私も子どものころ、宇宙の終わりがどうなるか心配だった。自分が死ぬことよりも心配だった。自分は死んでも、宇宙はずっとあり続けてほしかった。なぜそう思うのだろう。
消滅する理由はなんだろう……ツチヤくん
自分の死よりも地球や宇宙の終わりのほうが心配だったというのは、僕も子どものころに覚えがあるなあ。もっとも僕の場合は、地球がブラックホールにのみ込まれたらどうしようって、心の底から心配していたのだけれど。
いまにして思えば、なんでそんなありえそうもないことを心配していたんだろうって感じだけれど、もしかしたら子どものころは、地球という惑星の消滅ではなくて、この世界が丸ごと終わってしまうかもしれないということに、なんとも言えない恐怖感を抱いていたのかもしれない。
この問いを考えたあなたは「地球がなくなるとしたら、それはなぜなのか」ということを疑問に感じているのかな。そう問いたくなってしまう感覚もよくわかる。もしこの世のすべてがなくなるのだとしたら、そこには必ずなんらかの「理由」があるような気がしてしまうんだよね。言い換えると、世界の滅亡には必ず何かしらの意味があって、それは「必然」的に引き起こされるはずだっていう感覚。
でも、これはほんとうなのかな? コーノくんが言っているように、地球も宇宙も、物理学の法則にしたがってただ消滅するだけだと考えては、なぜいけないんだろう?
同じことが、この世界の誕生についても言える。世界なんて一切何も存在していなくてもよかったのに、なぜか世界は誕生して、存在している。ここにも「なぜ」と問うべき「理由」はあるのかな? そんなのは全部ただの「偶然」に過ぎないんだって考えると、どうして物足りない気持ちがするんだろう?
地球がなくなっても問いは続く……ムラセくん
どうやら地球はいつかなくなるらしい。そこですぐに思いつくのは、ほかの星への移住だ。五十億年後なら、そんなこともふつうかもしれないね。
そんな人たちは、地球を懐かしく思い出したりするのだろうか。いまでも多くの人は、人類誕生の地であるアフリカに、それほど関心を向けていないように思える。だから、未来の人も無関心かもしれない。それとも、やっぱり「ふるさと」である地球がなくなるというニュースに心を痛めるのだろうか。だとしたら、どうしてそんな遠いふるさと(地球)が大切なのだろう?
そもそも、遠い未来の社会はどんな感じだろう? いま同じ地球上でも誰かがどこかでいつだって争っている。それなのに、いろいろな星に移住した人間たちが仲良くできるのだろうか。仲良くするにはどんな社会の仕組みが必要なのかな。いや、そもそも人間は、いまの人間と同じ姿のままなのだろうか。
地球が消滅しちゃうとしても、その先にはいろんな問いが浮かんでくるね。
まとめ 遠い未来の話のはずが……ゴードさん
地球って、とても大きくて、大むかしからずっとあるものだよね。そして、私たち人間はみんなその上に乗っかって生活している。それが、あるとき全部消えてなくなってしまうと考えたら、とても恐ろしい感じがする。ほんとうにそんなことが起きるのかな。
コーノくんによると、ずっと先のことではあるけれど、地球はほんとうになくなってしまうと予想されているらしい。しかも、地球だけではなくて、宇宙全体がいつかはなくなってしまうんだって。コーノくんは、自分が死ぬことよりも宇宙の終わりのほうが心配だったと言っているけれど、あなたはどう? 自分がいなくなることと、宇宙がなくなること、どちらのほうが怖いかな。
ツチヤくんは、そんなふうに地球や宇宙がなくなってしまうことに、何か「理由」があるのかどうか考えている。何も理由なんかなくてただ消えてしまうんだと考えることもできるけれど、やっぱり何か理由があってほしいと感じてしまうのはどうしてなんだろう。そういうことって、ほかにもあるね。コーノくんが言っているように、自分が死ぬことや生まれたことも、ただそうなるだけだと考えることもできるのに、何かそこに理由や意味があってほしいと感じてしまう。
ムラセくんは、地球がなくなった後の世界はどんなふうになっているのか、想像して考えているよ。五十億年も先の世界って、どんな世界かな。人類がまだいるとしたら、どんなふうに生活しているだろう。地球以外の星に棲むのって、どんな感じかな。地球の終わりなんて、想像しても仕方がないことのように感じるけれど、よく考えてみると、いまの自分や人間たちのことを理解することにもつながっていそうだね。
★「てつがくカフェ」は毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中
<4人の哲学者をご紹介>
コーノくん 河野哲也(こうの・てつや)
慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は哲学・倫理学・教育哲学。現在、立教大学文学部教育学科教授。NPO法人「こども哲学おとな哲学アーダコーダ」(副代表理事)などの活動を通して哲学の自由さ、面白さを広めている。
ツチヤくん 土屋陽介(つちや・ようすけ)
千葉大学大学院社会文化科学研究科博士課程満期退学。博士(教育学)(立教大学)。専門は子どもの哲学(P4C)・応用哲学・現代哲学。現在、開智国際大学教育学部准教授。
ムラセくん 村瀬智之(むらせ・ともゆき)
千葉大学大学院人文社会科学研究科修了。博士(文学)。専門は現代哲学・哲学教育。現在、東京工業高等専門学校一般教育科准教授。
ゴードさん 神戸和佳子(ごうど・わかこ)
東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。専門は哲学教育。現在、長野県立大学ソーシャル・イノベーション研究科講師。中学校・高等学校等での対話的な哲学の授業のほか、哲学カフェ、哲学相談などの実践・研究も行っている。
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