誰もが一度は抱いたことのあるような問いについて、4人の哲学者が、子どもたちとともに考え進めていくという形で書かれた『子どもの哲学 考えることをはじめた君へ』(毎日新聞出版刊)。大人も子どももいっしょになって、ゆっくりと考えてみませんか。本書から一部をご紹介します。本書のもとになった「てつがくカフェ」は、毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中です。
夢は現実で記憶したこと……コーノくん
赤ちゃんのときから眠りっぱなしで、大きくなっても、ずっと夢を見続けている人っているのかな。もしいたとしても、そういう人の夢って内容が乏しそうだよね。だって、まだ何も見ていないし、何も経験していないから。夢の中身も少なそう。
夢って、目が覚めているときに経験したことが材料になっていて、それをめちゃくちゃにかき混ぜてできているよね。だから夢って、一種の記憶じゃないのかな。記憶したことが入り交じって、自分で思い出しているという自覚なしに思い出しているんだ。
夢は記憶だから、夢のなかでどんなに怖がっていても、どんなに喜んでいても、その怖さや喜びの気持ちそのものはほんとうでも、見ている夢の内容はほんものじゃない。現実とは全然違う。ぼんやりとしているし、ありえないことが起こったり、いっしょにいるはずのない人がいっしょにいる。だから、夢を「見る」とか言うけれど、ほんとうは目で何かを見ているわけじゃない。何かを思い出して、見たつもりになっているだけ。
私はじつは夢を見ていても、ほとんどいつも、「これって夢だな」って途中で気づいちゃう。だって夢は矛盾しているから、おかしいと思って起きちゃうんだ。
目覚めたときに夢となる……ムラセくん
たしかにコーノくんが言うように、最初から夢を見ている人はいないのかもしれないね。もし最初から夢を見ているのだとしたら、夢を見るための材料が足りなそうだ。
だけど、僕がいま、ほんとうは寝ていて、夢を見ているだけってことはありそうな気がするな。僕自身はいま、この文章を書いていて、もちろん「これは絶対に夢じゃない!」と思っているよ。でも、それって夢のなかでも同じかもしれない。僕が見たことのある夢は、内容がヘンテコで矛盾していることが多いけれど、途中で夢だと気づかないこともよくある。それに矛盾が特になくて、現実に起こってもおかしくない夢だって見たことがある気もする。だとしたら、夢と現実の境界線って、じつは夢の中身としてはないんじゃないかな。
ん? じゃあ、僕たちはどうやって区別しているのかって?
もし夢の中身では現実と区別がつかないのなら、結局、夢と現実の境界線って、それから覚めるかどうかってことだけじゃないかと思うんだ。だから、いま見ているこの景色や聞いている音は、ほんとうは夢とも現実ともいまは言えなくて、目覚めてはじめて夢になるんじゃないかな。
すべてが夢という可能性……ツチヤくん
『マトリックス』という映画を知っているかな? この映画では、主人公は生まれたときからずっとコンピュータにつながれ、夢を見させられていて、一度も現実の世界で目覚めたことがない。主人公が現実だと思っている世界は、コンピュータが主人公の脳に電気信号を送ることによってつくり上げている仮想現実の世界で、いわば主人公の人生の全部が夢のなかの出来事なんだ。
コーノくんは、赤ちゃんのときからずっと夢を見続けている人は「何も経験していないから」夢の内容が乏しそうだと言っているけれど、もしこの映画のように、脳に直接電気信号を送ることで、その人に様々な仮想的な体験をさせることができるとしたら、その人はとても内容の豊かな夢の世界に生きることができると僕は思う。
さて、そうすると僕たちが生きているこの世界も、もしかしたらコンピュータによってつくられた夢の世界かもしれないよね。夜に眠って夢を見て、朝になって目が覚めて、学校へ行って帰ってきて、また寝て夢を見て……という自分の人生の全体が、最初から最後まで全部夢である可能性があるんだ。そんなことはありえないってどうして言える? だとしたら、夢と現実の境界線っていったいなんだろう?
ちなみに僕は以前、夢のなかで「これは夢かも」って思ったときに、夢かどうかを見破るためにいろいろとチェックをしてみたことがある。矛盾があるかどうか、内容が夢っぽいかどうか、ほっぺたをつねっても痛くないかどうか――様々な角度からチェックして、最終的に「これは現実だ!」って結論を下したんだけど、結局それは「そういう夢」だったんだ。だから僕は、いま現実だと確信しているこれも、結局のところは全部が「そういう夢」だった、と後で気づくことはやっぱりありうる、と思っているよ。
まとめ 夢と現実の見分け方はある?……ゴードさん
夢って、なんだかとっても不思議。夢を見る夜もあれば、見ない夜もある。ありえないことが次々に起きる夢もあるし、ふだんの生活とまったく変わらない夢もある。楽しい夢も、怖い夢もある。夢っていったいなんなのだろう。
コーノくんは、夢というのは、起きているときに経験したことの記憶を寝ているときに勝手に思い出したものだと考えている。自分で思い出そうとして思い出しているのではないから、変な組み合わせや順番で、場所や人が出てくるんだね。でも、どうしてこんなふうに寝ている間に勝手に記憶が出てくるんだろう。科学者の人たちも、これについてはいろいろ調べているみたいだよ。
ムラセくんは、とても現実的な夢とほんとうの現実は、どうやって区別できるのかという問題について考えている。夢で見たり感じたりすることと、現実で見たり感じたりすることは、中身では区別できないから、その区別は「目が覚めるかどうか」ということしかないと言っているよ。でもツチヤくんは、それでも区別ができなくて、「現実」だと思って生きてきた人生すべてが夢なのかもしれないと考えている。そんなことってあるかな? でも、たしかに寝不足のときには「夢から覚めて起き上がったという夢」を見ることがある。だからほんとうに夢から覚めたのか、それとも夢から覚めたという夢を見たのか、区別するのは難しそう。
これは現実であって絶対に夢ではない、と確かめられる、いい方法はあるかな? もしそんな方法がわかったなら、ぜひ私たちに教えてほしいな。
★「疑問氷解」は毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中
<4人の哲学者をご紹介>
コーノくん 河野哲也(こうの・てつや)
慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は哲学・倫理学・教育哲学。現在、立教大学文学部教育学科教授。NPO法人「こども哲学おとな哲学アーダコーダ」(副代表理事)などの活動を通して哲学の自由さ、面白さを広めている。
ツチヤくん 土屋陽介(つちや・ようすけ)
千葉大学大学院社会文化科学研究科博士課程満期退学。博士(教育学)(立教大学)。専門は子どもの哲学(P4C)・応用哲学・現代哲学。現在、開智国際大学教育学部准教授。
ムラセくん 村瀬智之(むらせ・ともゆき)
千葉大学大学院人文社会科学研究科修了。博士(文学)。専門は現代哲学・哲学教育。現在、東京工業高等専門学校一般教育科准教授。
ゴードさん 神戸和佳子(ごうど・わかこ)
東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。専門は哲学教育。現在、長野県立大学ソーシャル・イノベーション研究科講師。中学校・高等学校等での対話的な哲学の授業のほか、哲学カフェ、哲学相談などの実践・研究も行っている。
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