推しの城 おもシロ ランキング【月刊ニュースがわかる2月号】

毎小、22日に創刊88周年【ニュース知りたいんジャー】

毎日小学生新聞(毎小)は1936年12月22日に誕生し、今年で創刊88周年を迎えます。長生きしている人の年齢を祝う言葉でいうと「米寿」です。毎小はいつ、どのように誕生したのでしょうか。歴史を振り返ってみましょう。【篠口純子】


 ◇新聞の始まりは?

 日本の新聞は、江戸時代の「かわら版」が始まりとされます。地震や台風、火事、はやり病、外国からやって来た黒船などのことを伝えました。木の板に文字を彫って、それを紙に写す「木版」という方法で刷っていました。発行は毎日ではなく、大きな出来事が起きるたびに刷っていました。
 1859年に横浜(神奈川県)などに港が開かれ、外国との貿易が始まります。61年に、来日したイギリス人が初の英字新聞を外国人居留地で発行しました。その翌年、江戸幕府が海外の新聞を翻訳し、初めての日本語の新聞「官板バタヒヤ新聞」が発行されます。
 71年には、日本で最初の日刊新聞「横浜毎日新聞」が創刊されました。木版刷りではなく、木や鉛でできた活字を使い、それらを組み合わせて文章にして印刷しました。この方法は「活版印刷」といいます。
 翌年には東京初の日刊新聞で、今も残る新聞で最も古い「東京日日新聞」(今の毎日新聞)や、地方紙「峡中新聞」(今の山梨日日新聞)が創刊されました。


 ◇毎小はいつ創刊したの?


 1936年12月22日、「大毎小学生新聞」として創刊されました。このころ日本は中国への侵略を進め、東北部に植民地「満州国」をつくりました。その満州国へ大阪毎日新聞社(現在)の毎日新聞社)の部長が出張した時、日本語の新聞「満州日日新聞」が小学生新聞を発行していることを知ります。それをきっかけに、日本で小学生向けの新聞を発行することにしました。

大阪毎日新聞 本社に掲げられた大毎小学生新聞創刊を伝える看板


 創刊号の1面には「この小さい新聞は今、どうしたら皆さんのよき友達、ためになる先生、そして皆さんの新聞としてのつとめが果たせるかと、そればかりで一ぱいに張りきっています」と、子どもと社会との懸け橋となる決意を記しています。大人の新聞よりも文字が大きく、国内外のニュースをやさしく書き直しているので、売れ行きは好調でした。

昭和11(1936)年12月22日の毎日小学生新聞創刊号(当時は大毎小学生新聞)


 ◇ずっと続いていたの?


 第二次世界大戦末期の1945年4月から、戦争のため7か月間休刊していました。
 毎小が創刊された年、36年の2月に、陸軍の若い将校の一団が武力で政府を倒そうとした「2・26事件」が起きました。この事件をきっかけに軍の力が強まり、翌年7月に日中戦争が始まりました。毎小にも戦争の影響が及びます。41年1月から、戦時下の少年少女を意味する言葉「少国民」を用いた「少国民新聞」と名前を変えました。
 12月8日には、日本軍はアメリカ・ハワイの真珠湾を攻撃。東南アジアのイギリス領・マレー半島にも上陸し、アメリカやイギリスなどと太平洋戦争が始まりました。45年4月からは国の政策にしたがって休刊しました。
 45年8月に日本の敗戦で終戦を迎え、毎小は11月に復刊されます。47年4月からは、現在と同じ「毎日小学生新聞」になりました。

終戦後間もなく、再刊。「正しい政治へ」と民主主義を子どもたちに伝える当時の文相の寄稿(1945年11月1日)


 ◇どんな人が連載していた?

 多くの漫画家が連載していました。手塚治虫さん、藤子不二雄さん、園山俊二さんは、毎小でデビューしました。
 「漫画の神様」といわれる手塚さんは、大阪帝国大学(現在の大阪大学)の医学部に在学中だった1946年、4コマ漫画「マアチャンの日記帳」でデビューしました。

展示作品の前で笑顔をみせる手塚治虫さん=東京都中央区で1983年7月撮影



 手塚さんの「マアチャンの日記帳」や「新宝島」を読んで漫画家を目指したのが、後に「藤子不二雄」として活躍する藤子・F・不二雄(藤本弘さん)と藤子不二雄Ⓐ(安孫子素雄さん)です。2人は高校3年生だった51年、「天使の玉ちゃん」でデビューしました。その後、藤子不二雄のコンビ名で「オバケのQ太郎」「パーマン」など数々のヒット作を生み出しました。

藤本弘氏(左)、安孫子素雄氏(右)の2人が一緒になって漫画家「藤子不二雄」


 園山さんは、早稲田大学在学中の58年から「がんばれゴンベ」を連載。92年までに9775回という、子ども向け漫画としては記録的な連載になりました。

「がんばれゴンベ」を描いて25年の園山俊二さん=1983年10月20日


 この他、「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」などで知られる松本零士さんや、「ルパン三世」のモンキー・パンチさんも、毎小で活躍しました。

◇読者にはこんな人も


 大人になって各分野で活躍した人たちにも、元読者がいます。SF作家の小松左京さん(1931~2011年)、作家の田辺聖子さん(1928~2019年)、ソニー元社長の大賀典雄さん(1930~2011年)、ノーベル化学賞を受賞した野依良治さん(1938年~)、元NHKアナウンサーの梅津正樹さん(48年~)、フジテレビアナウンサーの竹俣紅さん(98年~)、バイオリニストのHIMARIさん(2011年~)などです。
 大ベストセラーとなった「日本沈没」で知られる小松さんは、日本のSF小説の生みの親である海野十三の毎小での連載小説「火星兵団」などを熱心に読んでいました。梅津さんは、園山俊二さんの漫画「がんばれゴンベ」をまず最初に読んでいたそうです。
 近年では、竹俣さんは小学2年生の時、「あの人に会った」で女流棋士の矢内理絵子さんを取材しました。HIMARIさんは「論語くん」や3面のニュース、連載小説を読んでいたそうです。(2024年12月11日毎日小学生新聞より)