誰もが一度は抱いたことのあるような問いについて、4人の哲学者が、子どもたちとともに考え進めていくという形で書かれた『子どもの哲学 考えることをはじめた君へ』(毎日新聞出版刊)。大人も子どももいっしょになって、ゆっくりと考えてみませんか。本書から一部をご紹介します。本書のもとになった「てつがくカフェ」は、毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中です。
人間と似たことを思っている……ツチヤくん
魚が何を思っているのかを考える前に、そもそも魚は世界をどう見ているのかを想像してみよう。
魚の目は顔の両側についているから、人間の目とはだいぶ違うつくりをしているようだ。カメラのレンズには「魚眼レンズ」というものがあって、これは魚から見た世界の見え方を再現していると言われている。魚眼レンズを使うと、視界は広がるけれど、全体は歪んで見えるんだよね。もっとも、じっさいに世界がどう見えているかは、魚に聞いてみないとわからない。でも、きっと人間とは視野の広さも見え方も相当違うのだろう。だとしたら、見えている世界さえ全然違うのだから、魚が何を思っているかなんて想像もつかないような気もする。
でも、ほんとうにそうかな? 見方を少し変えてみると、じつは魚も僕たち人間も、生活の基本の形はほとんど同じと言えるような気もする。つまり、両方とも同じ生物なので、ごはんも食べればうんちもするし、敵がきたらとっさに逃げる。だとしたら、魚もえさを食べなければ「おなかがすいた」と思うはずだし、殺されそうになったなら「死にたくない」と思うはずじゃないかな?
逆にこういう想像をしてみよう。見た目は人間そっくりなんだけど、ごはんを一切食べなくてもおなかは永遠に空かないし、殺されそうになってもまったく抵抗しない宇宙人がいたとする。その宇宙人と人間とは、見た目は同じでも、生活のあり方はまったく異なっているね。よく考えてみると、じつは魚よりその宇宙人のほうが、何を思っているのか僕たちにはわからないんじゃないかな?
思うってどういうことだろう……コーノくん
「思う」って、そもそもどういうことをいうのかな? 「ここは暑いな」とか「トイレに行きたい」といった、他人には聞こえないけれど、自分のなかでつぶやいているようなことかな? 自分のなかだけで話すことが「思う」ことだとすると、考えるためには言葉をもっている必要があるよね。
でも魚は、言葉を話さない。少なくとも人間と同じ言葉は話さないし、話せない。けれど魚同士では、何か合図し合ったりすることはあるのかな。あるかもしれないね。「敵がきた」とか「集まれ」というような簡単な合図なら、魚同士でやりとりをしているかもしれない。その合図を魚が自分に向かって出して、それを自分で見たり聞いたりしているとすれば、魚は「思っている」と言えそうだね。
でもやっぱり「思う」ことは、魚にとって難しいと思う。自分で自分に合図を出している魚なんているのだろうか。だから結論を言えば、魚は何も思わないんじゃないかな。というよりも、思うことができない、のだと思う。
でも、言葉を話せない人が何も思っていないかというと、そんなことはないよね。では「思う」っていったいなんだろう。
思いは読みとっていくもの……ムラセくん
ツチヤくんは、魚が「思う」かどうかは、僕たちと行動が似ているかどうかが重要だと考えている。でも、人間のように思っているかは疑問。僕たちと行動が似ているだけで、何も思っていない動物だっていそうだ。
コーノくんは自分自身に話すことを「思う」と考えていて、魚はそんなことしていないと言っている。でも「ここは暑い」と思っていても、心のなかでずっと「ここは暑い」とつぶやいている人はあんまりいない気もする。
もちろん、二人の意見もわかる。だから、僕の答えは二人の真んなかあたり。
たとえば、泣いている赤ちゃんの思っていることを知りたいとしよう。どうするかな? じっと見ているよりは、いろいろ試してみるよね。おもちゃをあげたり、オムツを替えてみたり。たぶん「思い」って、いろいろ試してみて、そこから読みとれるものなんだ。大切なのは、「思い」は行動が似ている同じ生物ということや、それっぽい行動をするだけでは成り立たないし、心のなかで一人でつぶやいていてもダメだってこと。
魚が何かを思っているのなら、魚の仲間同士で合図を出し合ったりしているに違いない。それを読みとろうとすれば、僕たちもある程度その行動を理解できるはずなんじゃないかな。
まとめ 思いを知るには働きかけよう……ゴードさん
魚は身近な生き物だけれど、何を思っているかと言われると、たしかに想像するのが難しい。犬や猫は、嬉しそう、怒っていそうなどと感じることもある。でも、魚のことは、じっくり観察していても、すいすい泳いでいるだけのように見えて、思いを感じとるのはなかなか難しそうだね。
ツチヤくんは、魚も人間も、ごはんを食べたり敵から逃げたりするような、生き物としての生活の型はほとんど同じなのだから、同じようなことを思っているはずだと考えている。でもコーノくんは、魚は何も思っていないと言っている。なぜかというと、魚はほかの魚には合図を出すかもしれないけれど、自分自身に向かって、それと同じような合図を出したりはしないから。この二人の考えが正反対になったのは、「思う」という言葉について考えている意味が違うからだよ。ツチヤくんは、「思う」とは、まわりの状況や自分の身体の状態に反応することであり、生き物の行動のもとになることだと考えている。でもコーノくんは、「思う」というのは自分の心のなかで、自分だけに話しかけることだと考えている。どちらのほうが「思う」の説明として正しいのかな。どちらの側面もあるような気がするけれど……。
ムラセくんは、自分以外のものの「思い」を知るためには、ただ眺めているのではなくて、いろいろな働きかけを試してみる必要があると言っている。思いって、ただ心のなかだけにあるのではなく、コミュニケーションによって現れてくるものなんだね。魚の思いを知るために、人間から魚に働きかけられることはあるかな? そして、魚はほかの何かに働きかけていたりするかな?
「てつがくカフェ」は毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中
<4人の哲学者をご紹介します>
コーノくん 河野哲也(こうの・てつや)
慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は哲学・倫理学・教育哲学。現在、立教大学文学部教育学科教授。NPO法人「こども哲学おとな哲学アーダコーダ」(副代表理事)などの活動を通して哲学の自由さ、面白さを広めている。
ツチヤくん 土屋陽介(つちや・ようすけ)
千葉大学大学院社会文化科学研究科博士課程満期退学。博士(教育学)(立教大学)。専門は子どもの哲学(P4C)・応用哲学・現代哲学。現在、開智国際大学教育学部准教授。
ムラセくん 村瀬智之(むらせ・ともゆき)
千葉大学大学院人文社会科学研究科修了。博士(文学)。専門は現代哲学・哲学教育。現在、東京工業高等専門学校一般教育科准教授。
ゴードさん 神戸和佳子(ごうど・わかこ)
東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。専門は哲学教育。現在、長野県立大学ソーシャル・イノベーション研究科講師。中学校・高等学校等での対話的な哲学の授業のほか、哲学カフェ、哲学相談などの実践・研究も行っている。
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