平安時代中期の歌人。情熱的な女性といわれ、夫と子どもがいたが、親王(天皇の子)兄弟と恋愛して朝廷にスキャンダルを巻き起こした。率直で大胆な和歌の傑作を多く残している。娘の小式部内侍(こしきぶのないし)も歌人として知られている。
機転がきいて勇気もあった
和泉式部(いずみ しきぶ)は恋多き女性といわれ、波乱の人生を送った平安時代中期の歌人です。結婚して子どもも生まれ、夫が単身赴任した際にさびしさや恋しさを和歌によむなど家庭は円満でした。
そんな彼女の情熱的な歌にひかれて近づいてきたのが為尊親王(ためたかしんのう、冷泉天皇の皇子)です。身分違いの恋が始まりましたが、親王は26歳で急死。すると今度は弟の敦道親王(あつみちしんのう)と恋仲になり、怒った親王の妻が家を出て行くなど一大スキャンダルに発展しました。やがて敦道親王も27歳で亡くなり、和泉式部は悲しみの和歌を多く残しました。
その後、和泉式部は権力者の藤原道長に才能を認められ、道長の娘の彰子(一条天皇のきさき)に仕えました。
そんなある日のエピソードです。
天皇の職場にあたる宮中で、とある貴族が和泉式部にもらった扇を見せびらかしていました。そこに通りかかった道長が「浮気っぽい女の扇」と書き入れるいたずらをしたそうです。
それを知った和泉式部は「越えもせむ 越さずもあらむ 逢坂(おうさか)の 関守ならぬ 人なとがめそ(恋の道は人れぞれ。関係ない方にとがめられる覚えはありません)」という和歌をよんで反撃したということです。
(「ニュースがわかる」2024年8月号の「レキッパ!!」より)