京都に出没した伝説的な大どろぼう。凶悪な盗ぞくグループを率いたとされ、豊臣秀吉の命令で一族もろとも処刑された。後(のち)にしばいなどで豊臣政権に反逆するアンチヒーローとえがかれ、今に至るまで人気を博している。?~1594年(安土桃山時代)。
衝撃の死 後世では「義ぞく」に
大どろぼうの石川五右衛門が天下をゆるがしたのは、豊臣秀吉が世を治めた16世紀のことでした。伊賀(三重県)で忍者をしていたとか、秀吉に滅ぼされた武士の子だとか、いろいろな説があり、朝鮮出兵(*1)に兵を取られ警護が手うすになっていた京都で、大ぜいの手下とともに数々の盗みを働いたということです。
そのころの史料によると、五右衛門が凶悪などろぼう集団のリーダーだったことにまちがいはないようです。しかし、その生まれや育ち、人物像について確かなことはわかっていません。
五右衛門の最期はあまりに衝撃的なものでした。1594(文禄3)年に一味とともに捕まり、京都の三条河原で油の入ったかまに入れられて処刑されたことが記録に残っています。
そんな五右衛門は江戸時代に入ると、しばいなどで義ぞく(*2)としてえがかれるようになりました。権力者や大金持ちの家に盗みに入ったり、秀吉に反発して国のてんぷくを狙ったりするというスケールの大きさで、観客の心を奪いました。
(*1)朝鮮出兵……豊臣秀吉が1592年と1597年の2度にわたり、朝鮮に攻め入ったこと
(*2)義ぞく………権力者から盗んだ金を貧しい人たちにやるなどの行動で、大衆に支持される犯罪者
(「ニュースがわかる」2024年9月号の「レキッパ!!」より)