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【ニュースがわかる2024年6月号】巻頭特集は地震大国ニッポン 被害を減らすために

仙台育英・山田脩也選手インタビュー
夢はトリプルスリー 球界代表する選手に

2022年夏に東北勢として初めて甲子園で優勝し、翌年夏も主将として準優勝を果たした。仙台育英(宮城)の山田脩也選手(18)。U18(18歳以下)ワールドカップ(W杯)の侍ジャパンU18代表として初の世界一に貢献し、38年ぶりの日本一に輝いた阪神タイガースでプロ生活をスタートする。世代屈指の好打者が激闘の舞台裏や思い描く将来像を語った。(センバツ2024 第96回選抜高校野球大会公式ガイドブックより)

 「負けを機に頑張れ」恩師の言葉が鼓舞

――22年夏に東北勢初の甲子園優勝を果たし、23年夏も慶応(神奈川)との決勝まで勝ち進みました。

 連覇はまったく意識しなかったですね。もちろん優勝したい気持ちはありましたが、トーナメント表を見たら、(埼玉・浦和学院、大阪・履正社など強豪と同じゾーンに入り)そんなに簡単にいく感じではなかったですから。一つ一つ勝ち上がりながら、チームとして成長していこうと思いました。

 慶応とは3回戦までは当たらない組み合わせだったので、(慶応の主将の)大村(昊澄)君と組み合わせ抽選会の時に「お互い頑張ろう」と話しました。

山田脩也(やまだ・しゅうや)
2005年8月20 日生まれ。仙台市青葉区出身。小学6年時には侍ジャパンU12代表に選ばれた。中学時代は「仙台東部リトルシニア」でプレー。仙台育英では甲子園大会に3季連続で出場し、2年夏に優勝、3年春は8強、3年夏は準優勝。広い守備範囲が持ち味で、打撃センスも高く、U18W杯では木製バットで本塁打を放った。ドラフト3位で阪神タイガースに入団。身長177センチ、体重71キロ。右投げ右打ち。

――慶応とは夏の宮城大会の前に練習試合をしたそうですね。

 もともと定期的に慶応とは練習試合をやる間柄でした。(23年の)センバツ(2回戦)で戦った縁で、清原君(清原和博さんの次男の勝児選手)とLINEを交換していたのですが、その練習試合でもお互いに「また甲子園で会えたら」とやり取りをしました。

――決勝では、慶応の「大応援団」がスタンドを埋めました。実際、グラウンドから相手の応援をどう感じていましたか。

 すごかったですね。ライブをやっているのかっていうぐらい(笑)。正直、守備のかけ声も全然聞こえなかったです。そういう意味で違和感ややりづらさはちょっとありましたが、実は楽しめる部分もあったんです。

 センバツで戦ってから、慶応の応援歌を覚えていて。「若き血」とか「烈火」とか、授業の休み時間にみんなで流したり、僕も教室で歌ったりしていました。知っている応援歌が流れているからか、意外とテンションが上がり、「アウェー感」みたいなものはなかったです。

 もちろん自分たちの応援もありましたし、内野席の方からも自分たちのプレーに拍手をいただいたので、それが励みになりました。2年連続で決勝に行けるのは奇跡みたいなこと。「この舞台を楽しもう」とみんなで話していました。

――結果は2-8で敗れて、準優勝でした。

 もちろん悔しかったですが、一番は3年間一緒にやってきた仲間や、ずっと応援に来てくださった保護者のみなさんへの感謝の気持ちが大きかったです。充実感もあって、でも悔しさもあって……。何とも言えない複雑な気持ちでした。

 (監督の)須江(航)先生が試合後のベンチで「人生は敗者復活戦だ」と言ってくれて。「負けを機に頑張れ」と、逆に僕たちを鼓舞してくれるというか、熱くさせてくれました。

――高校入学時の話になりますが、山田選手は仙台市出身で、地元の仙台育英を進学先に選びました。

 3歳ごろから遊びで野球はやっていたのですが、6歳上の兄(利輝さん)を追いかけて、僕も5歳の時に本格的に始めました。高校で仙台育英を選んだのも、かつて兄がこのチームでやっていたからです。

――入学当時のチームの印象はどうでしたか。

 仙台育英は各自で内容を決める自主練習がほとんどです。もっと(全体で)ガツガツやるのかと思っていたのですが、印象が違いました。休日に大会や練習試合があり、そこで出た課題を平日に自分でつぶす。初めはそういう環境に難しさはありました。考えがまだ幼くて、何をしていいか分からなかったですね。

 慣れてきたのは1年生の秋ごろでした。試合に出させていただくことが多かったので、だんだん自分の課題がはっきりしてきました。

 一番はフィジカルが足りませんでした。体幹の強さや打球の強さ、打球を遠くに飛ばす技術とか、いろいろな「強さ」がなかった。守備とバッティングの時間はあまり増やさず、体幹トレーニングやウエートトレーニングに時間を使うようにしました。

 負け試合をワンプレーずつ振り返る

――22年夏の甲子園は、2年生ながら正遊撃手として出場しました。「優勝できる」手応えや自信はあったのでしょうか。

 やっぱり優勝は狙っていました。大会の中で試合を重ねながら強くなっているという実感がありました。

 宮城大会はチームとして全然打てなくて、苦しい試合が多かったんですが、甲子園に入ってから全員が打てるようになりました。なぜかと聞かれると難しいですね。甲子園という場所がそうさせてくれたんじゃないかと思います。

――ターニングポイントの試合はありましたか。

 明秀日立(茨城)との3回戦です。先制され、六回までリードされていました。それでも苦しい中で我慢強く、突き放されないように食らいつきながら、最終的に七回に逆転することができました。しぶとくついていく試合ができたのが収穫でした。

――優勝旗が初めて東北の地に渡りました。快挙を成し遂げた時はどんな思いでしたか。

 優勝したという実感が本当にありませんでした。地元に帰り、仙台駅で県民のみなさんに出迎えてもらった時に、初めて実感がわいてきました。

 当時はまだ新型コロナウイルス禍で、その中でもいろいろな人が足を運んでくださいました。こんなにたくさんの方に応援し、歓迎していただいた経験は初めてでした。今までにない大会になりましたね。

2022年夏の甲子園決勝で適時打を放つ山田選手。仙台育英は東北勢初の優勝を果たした=阪神甲子園球場で2022年8月22日

――新チームからは主将を任されました。

 甲子園が終わり、地元に帰ってすぐ、次のキャプテンをどうするか、自分たちで話し合いを始めました。その中で僕が立候補しました。

 須江先生に「自分が(主将を)やります」と伝えたら、「そりゃそうだろうな」と。須江先生たちも(次の主将は山田選手だと)決めている様子だったので、それを答え合わせするような感じでした。

――チームを引っ張る上で心がけたことはありますか。

 「全員を見る」ということですね。今まではほとんど自分のことだけを考えていたので、人の練習を見ることはなかったんですが、例えば僕が雨天練習場でトレーニングをしている時に、一息ついたら網のすきまからグラウンドの練習を観察するようにしました。全員がどういう意識でどんな練習をやっているのか、コミュニケーションを重ねることを心がけました。

――夏春連覇を狙った23年春のセンバツは準々決勝で、報徳学園(兵庫)に延長十回タイブレークの末、4-5で惜敗しました。

 悔しさが大きかったです。(足りなかったものは)打力ですね。打線のつながりもですし、ほしいところで長打が出なかった。

 (自分自身の結果も)全然駄目でした。打率も1割台でした。もっと一球一球細かく考えながら野球をすべきでした。球筋をしっかりイメージしながら打つこと、ボールの捉え方、打球の方向や角度、スピンのかけ方……。そういうのを練習で細かくチェックしていれば、試合でも必然的に体が意識しているので、もっと結果を残せたと思いますね。

――センバツを終えて、チームとしてはどんな反省をしたのでしょうか。

 報徳学園戦の見逃し配信をチーム全員で、須江先生と一緒に雨天練習場で見ました。ワンプレーずつ振り返りながら、須江先生の質問に答える形で意図を確認し合いました。

 それで分かったのですが、「テレビに映らないミス」というのが多かったです。例えば、九回表2死二塁から(齋藤)陽(選手)がレフト前にヒットを打って、(同点のランナーである二塁走者の)登藤(海優史選手)がホームに還ってきた時に、陽が一塁でガッツポーズをしていたんです。登藤が還ってくる間に二塁に行けたんじゃないかって。

 次のバッターの尾形(樹人選手)がレフトフライだったんですが、その時の相手の外野守備は定位置より少し後ろでした。もし陽が二塁に進んでいれば、勝ち越しの走者になるので外野が必然的に前に来て、(同じ尾形選手の打球でも)外野の頭を越えて勝ち越し打になっていたかもしれない。

 すべて「もしかしたらこうなっていたかも」という仮定の話ではあるんですが、記録にならないミスを減らしていくのが野球では大事だと改めて感じました。

――昨秋のプロ野球ドラフト会議では、阪神タイガースから3位で指名されました。

 関西とは縁がなく、(上位の)3位で名前が呼ばれるとも思っていなかったので、ビックリしました。阪神はファンの人が熱く、それに応えるように選手たちも活躍しますし、本当に強いチームだなと感じます。

 (プロ入りは)楽しみです。緊張や不安はありません。小さい時からずっとプロを目指してやってきたので、その夢がかなってうれしい気持ちです。スカウトの方からは「走攻守でレベルの高い選手」と言ってもらったし、その中でも守備を一番評価していただきました。

――プロでどんな将来像を描いていますか。

 1年目はしっかり体を作りながら、プロの球や環境に慣れていき、1軍に呼んでいただける機会があればそのチャンスをしっかりつかみたいです。2年目から1軍に定着して、3年目にはある程度活躍しているような人生になればいいかなって。

将来的には(打率3割、30本塁打、30盗塁の)「トリプルスリー」を達成できるような、球界を代表するような選手になりたいです。

――最後に、これから高校野球の舞台で活躍する球児たちにメッセージを。

 甲子園は試合を重ねるごとに自分を成長させてくれる場所です。その貴重な体験ができるのも、わずかな学校しかない。そこを勝ち取って、少しでもみんなの野球人生、これからの人生につながるいいきっかけになってくれればと思います。

(取材/構成・深野麟之介)

グラウンドでバットを構える山田選手=宮城県多賀城市で2023年11月27日

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