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【ニュースがわかる2024年5月号】巻頭特集は10代のための地政学入門

100年前の惨禍、関東大震災とは?【ニュース知りたいんジャー】

毎年9月1日は「防災の日」です。100年前のこの日、東京や横浜に大被害をもたらした「関東大震災」が起きました。日本の災害対策の出発点に位置づけられる、この大震災について改めて調べました。【小山由宇】


 ◇東日本大震災よりも大きい?

 1923年9月1日午前11時58分に発生し、神奈川県西部の小田原市付近から千葉県の房総半島まで長さ約130㌔㍍にわたって岩盤がずれ動きました。マグニチュードは7・9で、埼玉、千葉、東京、神奈川、山梨で、当時の最高震度だった震度6を観測しました。被害状況から、神奈川などでは現在の震度7に相当する揺れだったとみられます。
 死者・行方不明者数は、東京や神奈川を中心に約10万5000人。95年の阪神大震災の約5500人(災害関連死を除く)や、2011年の東日本大震災の約1万8000人と比べても、被害の甚大さが分かります。経済被害は、当時の国内総生産(GDP)の37%に達しました。ちなみに東日本大震災の経済被害はGDPの約3%です。


 ◇被害に特徴が……


 死者のうち約9割にあたる約9万人が火災による焼死でした。昼食の準備に追われる時間帯での地震だったため、多くの火災が発生しました。当時の東京市では134か所から出火し、市の約44%を焼き尽くしたといいます。
 陸軍の被服廠(軍服などを作る工場)の跡地には、多くの人が家財道具を持って避難していましたが、四方から火の手が迫り、跡地の空き地も火の海になりました。東京都(当時は府)での死者約7万人のうち、半数以上の約3万8000人が、ここで亡くなりました。現在の横網町公園(墨田区)です。


 ◇朝鮮人虐殺という事件って?


 大震災の直後、「朝鮮人が放火した」「井戸に毒を入れた」などのうそが広がり、軍や警察、住民によって、罪のない朝鮮人が殺される事件がありました。国の報告書では、犠牲者は震災による死者数の1~数%、つまり数千人とされています。
 日本は1910年、朝鮮を領土にする「韓国併合」をしました。「朝鮮人は日本を恨んでいる」というおびえが、事件につながったと言われています。毎年9月1日には、横網町公園で朝鮮人犠牲者追悼式典も開かれています。


 ◇震災で変わったことは?


 大震災は東京を大きく変えました。政府は「帝都復興院」という役所を作り、後藤新平総裁が復興計画を立てました。火災に強い街になるよう大きな道路や公園を造りました。靖国通りや昭和通りです。横浜には、がれきで海を埋め立てて山下公園ができました。
 関東大震災研究の第一人者である武村雅之・名古屋大学特任教授は「よく『震災の痕跡はあるの?』と聞かれますが、復興計画でできた街が、今の東京の基礎になっているのです。だから痕跡は東京全体といっても過言ではありません」と話します。
 また震災後建築物の耐震規定が世界で初めて制定され、東京帝国大学(当時)に地震研究所が設けられました。


 ◇教訓は?


 被服廠跡地で悲劇が起きたのは、避難した人々が荷車などに家財道具を積み、火が燃え移りやすかったことも原因です。東日本大震災では、自動車による避難で渋滞が起きて、津波にのまれた例もありました。これらの出来事は、着の身着のまま、小回りが利く状態で逃げたほうがいい、ということを示しています。
 関東大震災後、当時の政府などは徹底した被害調査をして、耐震規定の制定などにつなげました。武村特任教授は「過去に何があったかを知ることができれば対策を打てる。100年後に何を伝えるか。日ごろから考えておくことが、今の世代の人々の責任です」と話します。(2023年08月30日掲載毎日小学生新聞より)