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【ニュースがわかる2024年5月号】巻頭特集は10代のための地政学入門

神宮外苑 100周年を前に再開発計画【ニュース知りたいんジャー】

東京都心にある緑豊かな公園「明治神宮外苑」が、大規模な再開発計画に直面しています。軍隊を訓練する練兵場から「スポーツの聖地」に生まれ変わって、もうじき100年。令和の時代、その思いや歴史はどう引き継がれるのでしょうか。【山田大輔】


 ◇どのようにできたの?


 明治天皇死去(1912年)の後、明治時代をしのぶため、明治神宮(内苑)と神宮外苑が一緒に造られました。
 内苑は国の資金で造り、100年かけて厳かな神社の森になるよう、育つ速さの違う種類の木々をたくみに配置しました。一方、外苑は人々の寄付で造り、心地よく遊べる記念公園として、中央に明治天皇の業績を紹介する絵画館と大きな芝生広場、その周りに公園道路を巡らせ、西洋の流行を取り入れた現代式庭園です。アメリカからブランコなど遊具を輸入した児童遊園もあり、対照的な内苑と外苑を1・2㌔㍍の緑の連絡道路(裏参道)が結ぶ設計でした。
 外苑の土地は旧青山練兵場で、木の乏しい荒れ地でした。明治天皇の葬儀場になった後、寄付を含む182種、3万4497本の植樹をしました。今や東京を代表するイチョウ並木もその一部です。
 外苑は23年の関東大震災で避難所になり、工事が一時中断。完成した26年に、景観を守るため周囲の開発を制限する国内初の「風致地区」に指定されました。


 ◇なぜスポーツの聖地に?

 外苑地区には、東京オリンピック(五輪)の主会場になった国立競技場や、大学野球の拠点・神宮球場、大阪・花園と並ぶ秩父宮ラグビー場、「草野球の聖地」とも呼ばれる軟式野球場などが集まっています。
 初めの計画では競技場だけでした。1924年に旧競技場が完成し、今の国民体育大会(国体)の元になった最初の大会が成功すると、スポーツ団体が自分たちの競技の施設もと要求しました。「猛烈なる運動」があったと、当時の記録にあります。その結果、音楽堂や池などの計画が消え、26年に野球場(神宮球場)と相撲場(後に神宮第2球場)、31年にプール(後にアイススケート場と三井ガーデンホテル)が生まれました。
 第二次世界大戦後、東京大空襲で焼けた外苑南側の女子学習院跡地にラグビー場ができ、アメリカなどの占領軍から返された中央広場は軟式野球場になりました。


 ◇再開発はどんな計画?


 東京都は今年2月、イチョウ並木の西側から国立競技場の南まで17・5㌶の広い区域の再開発を認めました。神宮と神宮第2の両球場を解体して新しい屋内ラグビー場を建て、入れ替えるように今のラグビー場の跡地などにホテル付きの新野球場を造るほか、事務所やお店などが入る高さ190㍍と185㍍、80㍍の3棟の超高層ビルなどを建てる計画です。三井不動産や明治神宮など4者が3490億円をかけて2035年度に完成を目指します。
 外苑は都市計画公園として、法律で開発を規制されていますが、実は都などの土地は一部に過ぎません。都は、古くなった施設を建て替えて世界に誇れるスポーツ拠点にする構想を立て、土地を所有する明治神宮などと話し合いをしてきました。開発をしやすくするため、13年に新設した「公園まちづくり制度」を当てはめ、昨年3月、超高層ビルが建つ予定の3・4㌶を公園の規制から外しました。


 ◇反対する意見は?


 500本以上の木が切られること、新たな建物で温室効果ガスが増えること、歴史あるスポーツ施設を解体することなど、いろいろな点に批判の声があります。
 新野球場がイチョウ並木のそばにでき、工事で「根が切られる危険性がある」と自民党の船田元衆議院議員は昨年10月、国会で指摘しました。音楽家の坂本龍一さんは亡くなる1か月前の今年2月、「目の前の利益のために先人が守り育ててきた神宮の樹々を犠牲にすべきではありません」と記した手紙を知事に送りました。
 文化財保護にかかわる組織の「日本イコモス国内委員会」は、再開発の環境影響評価書(アセスメント)には誤りが多いと指摘しました。都や事業者は「植樹で緑は今より増える」「(工事後も)イチョウ並木の状態を確認していく」と説明しています。
 国立競技場は景観に合うように高さ約47㍍に抑えられましたが、新ラグビー場は55㍍、新野球場は60㍍あります。事業者側は、メリハリのある植樹で建物が迫ってくる感じを減らすと説明し、理解を求めています。


 ◇これからどうなる?


 3月に神宮第2球場の解体工事が始まり、再開発が動き始めました。環境への影響を見極める都の審議会は5月18日、事業者の出した環境影響評価書に、計画を大きく変えるような誤りはないと結論づけ、再開発は計画通り続く見通しです。しかし、イチョウ並木に影響がありそうなら、野球場の壁を引っ込めるといった対応を事業者が本当にするのかなど、心配が消えたわけではありません。
 外苑を造った民間団体は1923年、「外苑将来の希望」という文書を明治神宮の宮司に託しました。国民の寄付でできた外苑は他の公園とは性質が違うとして、明治神宮と関係のない建物は造らないよう求めています。
 しかし、64年の東京五輪のため、内苑外苑連絡道路を半分つぶして首都高速道路ができ、2021年に開かれた東京五輪では新国立競技場の建設に向け、風致地区の建物の高さ制限を75㍍にゆるめるなど、開発の圧力に負けてきました。100年かけて培ってきた都心の緑のネットワークを守り、育)めるのかが注目されます。(2023年06月07日毎日小学生新聞より)