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【ニュースがわかる2024年5月号】巻頭特集は10代のための地政学入門

社会にはたくさんの価値観がある【井手英策さん ふつうに生きるって何?#3】

「どうして別のクラスにいるの?」と聞けなかった愉太郎

【井手】 自分が気に入って、心に残っているのは、本の最初のほうで愉太郎が、障害があって別のクラスで学んでいる英智に傘を返しに行ったとき、英智に「どうして別のクラスに行ったのか?」を聞けずにモヤモヤしながらも、「たぶんもうこのクラスにはこない、と感じていた」という場面です。

 表面上は「また来るね」「おいでよ」と他愛もない会話をするけれど、うそですよね。本当の優しさもあるけれど、気遣いもある。だから、そこに気づいて悩むという、そのワンステップがあったからこそ、最後の最後に愉太郎は英智と和解し、「どうして別のクラスにいるのか聞きたいと思っていた。でも、何か聞いちゃいけない気がして、どうしてもできなかった」と話すのです。幸せというのはどこかにあるんだけれど、いつかやってくるものではなく、自分でつかみとっていくもの。そのためには何かのワンステップを踏まないといけないはずなんです。

 そのワンステップが、日々の暮らしの中にたくさんあるんです。気づいて出会って考えたことが、どうせ答えは分からないけれど、頭や心の片隅にはひっかかっているんです。 ひっかかっているから、日常のさまざまな経験の中で、突然その経験と心のひっかかりがつながって、「あっ、そうだったのか」と発見する。

心の片隅に引っかかった古典の一言

 大学生のとき、古典を読みまくっていました。

 ニーチェの「善悪の彼岸」やルソーの『社会契約論』とか。全く意味はわからなかった。それでもなお、心の片隅にひっかかるものが一つ二つあって、それがだんだん年をとって、僕の場合、学者になりましたから、「あれ、あのとき読んだ本の中に書いてあったな」と、もう一度読んでみると驚くほどの気づきがあるんです。

 若いときに読んでいなかったら、この出合い、気づきはないんですよ。だから何でもいいから触れておくこと、出合っておくことには意味がある。必ずその時の経験と昔のひっかかりがつながる。「あー、そうなのか、そういうものなのか」と思う瞬間があるんです。

 英智の物語はそういう意味で書きました。

 愉太郎は感じた後ろめたさを一生引きずっていく。引きずっているからこそ、何かがあったときに気づけるんですよね。【#4へ続く】