わずか13年で消滅 「満州国」とは?【ニュース知りたいんジャー】

今年は、日本と中国が国と国の交わりを回復して50年の節目の年です。一方で第二次世界大戦(1939~45年)前に、日本が中国東北部に「満州国」を無理やりつくって今月で90年でもあります。日本の敗戦とともに消えた「満州国」について、知りたいんジャーが調べました。【長岡平助】


 ◇中国の東北部にあったんだよね?


 日本は1867年に江戸幕府が倒れた後、大日本帝国という天皇を中心とした国になりました。そのころ、中国は皇帝を頂点とする「清」という国でしたが、当時はイギリスやフランスなどの列強と呼ばれる国々が世界各地を植民地として支配する時代で、清も侵略を受けていました。
 日本は列強と肩を並べることを目指し、1894年に清と戦いを始めました(日清戦争)。勝った日本は、清の息がかかった朝鮮半島の支配を固めました。また台湾なども手に入れました。
 その後、中国の東北部に勢力を伸ばすロシア帝国と1904年から戦い、ロシアの影響力を除きました。またロシアが中国の東北部に持っていた鉄道や権利を譲り受けました。この鉄道が「南満州鉄道(満鉄)」という会社になり、日本の支配で大きな役割を果たします。また満鉄などを守るために、陸軍の「関東軍」という部隊が置かれました。


 ◇どのようにできたの?


 清は1912年に革命で倒れ、中華民国になりましたが、列強の支配は続きました。第一次世界大戦(14~18年)をへて列強の一角になった日本は、ますます中国に進出しました。
 31年、中国東北部の都市・奉天(今の瀋陽)近くの柳条湖で、関東軍が満鉄の線路を爆破しました。日本は中国側の仕業と言い張って中国東北部への侵略を深めました。そして翌年、この地を「満州国」とし、独立を宣言させました。国のトップである「執政」には、清の最後の皇帝である愛新覚羅溥儀が就きました(後に皇帝)。こうした一連の動きを「満州事変」といいます。
 当時、世界平和を目指した機関「国際連盟」は、満州事変について調べるために、イギリスのリットンを中心とする調査団を送りました。調査団は満州事変を日本の侵略とし、「満州国」を日本の思うようにあやつられた「かいらい政権」として否定する報告書を作りました。
 国際連盟でこの報告書を認めるか採決が行われ、42対1で認められました。反対したのは日本だけで、日本は国際連盟を脱退しました。


 ◇支配した理由は?


 当時、中国の東北部は「日本の生命線」などといわれていました。日本が中国の東北部を支配したがった理由は、いくつかあります。一つには、当時発展しつつあった重化学工業の資源を得るためです。鉄鉱石や石炭など、中国の東北部には多くの資源がありました。ちなみに、これらの資源を扱ったのが満鉄で、満鉄は鉄道を軸に巨大企業になりました。
 また当時人口が増加していた日本にとって、中国の東北部は魅力的な移民先に見えました。45年の終戦までに、30万人ほどが海を渡りました。その多くは、中国人がすでに耕している場所を奪う形になりました。
 加えて、ロシア帝国を倒して成立したソ連を、特に陸軍が恐れ、その備えとして中国の東北部にこだわりました。
 このころ、日本では軍が力を持つようになっていました。背景には、不景気などで国民が政府に不信感を抱いていたことがあります。日本政府は満州事変をできるだけ大きくしない方針でしたが、現地の関東軍が勝手な行動をとることもありました。
 その結果、日本は国際社会で孤立を深め、中国との関係をより悪化させました。そして37年には、中国との全面戦争が始まりました(日中戦争)。


 ◇実態はどうだったの?

 満州国の皇帝の溥儀や現地の人たちに力はなく、関東軍や日本から送り込まれた官僚たちが全てを握っていました。経済も満鉄をはじめ、日本の会社が中心でした。また文化も日本の支配下にありました。満州映画協会(満映)という組織が置かれ、当時の娯楽の中心であった映画が数く作られました。
 当時、満州で力を持った人の中には、後の日本を引っ張っていく人もいました。関東軍の東条英機は、日本が第二次世界大戦に参戦するときの総理大臣です。その東条内閣で商工大臣を務め、戦後総理になった岸信介は満州国の高官でした。元総理の安倍晋三さんのおじいさんにあたります。また、もともと外交官で満鉄総裁の松岡洋右は、日本が第二次世界大戦に突き進むときの外務大臣です。
 満州国では関東軍やその周辺の人たちが、麻薬であるアヘンを秘密に作ったり売ったりして、お金を蓄えていたといわれます。また関東軍の中には、細菌を使った兵器の開発のために、中国人らの捕虜を使った人体実験をひそかに行っていた部隊もありました。


 ◇最後はどうなったの?


 日中戦争の終わりが見えない中、日本は第二次世界大戦に参戦し、アメリカやイギリスなどにも戦いを挑みました。だんだん敗戦が見えてくる中、当時おたがいに攻めないと約束していたソ連が1945年8月9日、約束を破って満州国に攻め込んできました。
 関東軍は日本から来ていた民間人を置き去りにしました。8月15日の終戦を迎えると、これまで支配していた現地の人たちからやり返されることもありました。多くの人が亡くなり、戻れずそのまま残った人もいます。また日本に連れて行けない幼い子どもは、現地の人に託されました。
 またソ連は終戦後、中国の東北部を中心に約57万人の日本の兵隊を捕らえ、シベリアなどで強制的に働かせました。「シベリア抑留」といわれ、寒さや厳しい労働で6万人ほどが亡くなったといわれます。
 日本の負けを受け、8月18日に皇帝の溥儀が退位し、満州国は消滅しました。(2022年03月23日掲載毎日小学生新聞より)