平和の番人 国連の80年【月刊ニュースがわかる4月号】

2025年は「昭和100年」! 昭和ってどんな時代?

2025ねんは、日本にほん元号げんごうでは令和れいわねんですが、一方いっぽうで「昭和しょうわ100ねん」でもあります。でも、平成へいせいまれのひとにとって、昭和しょうわはよくらないむかし時代じだい。どんな出来事できごとがあった? 令和れいわいまと、どこが、どうちがう?(「Newsがわかる2025年3月号」より)

 めまぐるしくうごいただい

 しょうのはじめ、ほんは、ちゅうごくはいしようとへいたいおくり、せんそうはじめます。ほんうごきは、おおくのくにからきびしくはんされました。たいりつたかまると、アジア・たいへいようひろいきへいたいはこび、アメリカやイギリスなどをてきにした、おおきなせんそうしました。

 しかし1945ねんしょう20ねん)8 がつはいせんいたります。せんは、アメリカなどにいちくにせんりょうされるけいけんもしましたが、あたらしいけんぽうをつくるなどさいけんつとめ、1960ねんだいにはアメリカにいでかいで2ばんけいざいりょくつまでになります。しょうは、おおくのせいしゃしたせんそうはいせん、めざましいけいざいせいちょうと、めまぐるしくうごいただいでした。

昭和   1926年(大正15年)12月25日、大正天皇が47歳で死去し、それまで「大正」だった元号は「昭和」に改められた。「昭和」の時代は、昭和天皇が87歳で亡くなった1989年(昭和64年)1月7日まで64年続いた。その翌日から元号は「平成」に切り替わった。
げんごう使つかくにほんだけ

 しょうのように、だいけられたまえを「げんごう」といます。

 ほんげんごう使つかはじめたのは645ねんの「たい」から。かつてはちゅうごくかんこくでも使つかっていましたが、いま使つかっているのはほんだけです。

 「たい」から「れい」まで使つかわれたげんごうは248。だいまでは、しんなどがきるとげんごうあらためていましたが、めいこうは、てんのういちだいごとにげんごうめる「いっせいいちげんせい」がさいようされています。

元号   現在は、1979年に定められた「元号法」によって決める。総理大臣が選んだ専門家が新しい元号のアイデアを出し、最終的に政府が決定する。「昭和」は、中国の古い本「書経」に書かれた「百姓昭明、協和万邦」という言葉を元に考えられたという。人々の平和と社会の繁栄という願いが込められた。
ちょうど100さい
ラジオ放送ほうそう
 1925ねんたいしょう14ねん)3がつはじまる。そのよくねんにっぽんほうそうきょうかいNエヌHエイチKケー)がせつりつされた。10まんにんえるせいしゃしたかんとうだいしんさいは、ラジオほうそうはじまる2ねんまえの1923ねんたいしょう12ねん)9がつ1日ついたちきた。せいかくじょうほうひろく、はやつたえるほうほうがなかったため、あやまったじょうほういのちとしたひとおおかった。

機器類を制御するラジオ東京の「副調整室」=1954年(昭和29年)
山手線やまのてせん環状運転かんじょううんてん
 ほんしゅとうきょうちゅうしんはしやまのせんで1925ねんかんえきうええきがつながった。のようにつながったせんでんしゃはしる、げんざいかんじょううんてんはじまる。いまは「ウグイスいろ」のしゃたいだが、とうは「ぶどういろ」とばれるちゃいろだった。

昔の山手線の車両=1913年(大正2年)

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