今回の地震では、建物が倒壊するなどの大きな被害が出ました。理由の一つは、街自体の「高齢化」です。被災地の珠洲市では、この高齢化が特に顕著になっていたと言えます。(「Newsがわかる2024年3月号」より)
能登半島では2020年12月ごろから群発地震が続き、2022年6月に最大震度6弱、昨年5月に震度6強の地震がありました。しかし、今回の地震はけたちがいのエネルギーで、余震(大きな地震の後の小さい地震)も石川県輪島市沖から佐渡島(新潟県)西の沖合まで約130キロで発生しました。
能登半島のそばには地震を起こすとされる活断層がいくつもあります。今回は100キロ以上のはんいで海底の活断層がつぎつぎとこわれ、大地震になったとみられています。
2023年5月に発生した地震で「危険」と判定され、今回の地震で倒壊したとみられる家(右)=石川県珠洲市で1月3日
今回の地震で家屋にひどい被害が出た理由の一つに、このあたりの耐震化率が低かったことがあります。
耐震とは柱やかべの強さで建物が地震のゆれに耐えることですが、被災地の珠洲市では市内の住宅約6000軒のうち、2018年度末までに国の耐震基準を満たしていたのは51%に過ぎませんでした。全国の耐震化率87%に比べてかなり低いといえます。
珠洲市は2020年の65歳以上の割合(高齢化率)が石川県内で最も高い51.7%でした。古い木造住宅を耐震化するにはお金も手間もかかるため、人口減少が進むまちで、大きなゆれに備える工事にふみ切れないお年寄りも少なくなかったようです。また、空き家も多くありました。
ビニールハウスを避難所にして過ごす住民たち=石川県輪島市で1月2日
三方を海にかこまれた能登半島は陸路では南側から入るしかなく、地震で道路がこわれたり、電話やインターネットが通じなかったりして、孤立した集落がありました。
断水や停電も広いはんいであり、水や食料、仮設トイレなどが不足しました。また、燃料不足で暖房が使えない避難所もありました。
避難所となっている集会所の外でいっしょに朝食を取る住民たち=石川県能登町で1月4日
地震で大きな被害を受けた石川県輪島市の中学生たちが1月17日、約100キロはなれた白山市に集団避難しました。
学校再開のめどが立たない中で授業を受け続けるためで、保護者の同意を得た生徒258人が家族とはなれて約2カ月、いっしょに生活します。珠洲市と能登町の中学生144人も1月21日から金沢市に集団避難しました。
集団避難に向かうバスの中から保護者に手をふる中学生たち=石川県輪島市で1月17日
災害の避難生活で体調をくずして亡くなることを災害関連死といいます。冬の避難所は床からの冷気でゆっくり眠れず、寒さで体の奥の体温が35度未満になると低体温症で命の危険におちいります。
簡易ベッドや長いす、マットレスなどでなるべく床からはなれた状態で休むとともに、かわいた衣類を重ね着したり、温かい飲み物を飲んだりして予防します。