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関東大震災100年 「その時」を知り 備える

関東大震災を知っていますか? 1923(大正12)年9月1日に起きた大地震による災害です。今年は発生から100年になります。「その時」どんなことが起き、人々は元の暮らしを取り戻す復興にどう取り組んだのでしょう。地震が多い日本で暮らす私たちは、被害を少なくするためにどんな行動ができるのか考えてみましょう。(「Newsがわかる2023年9月号」より)

首都圏襲ったM7.9 約10万5000人が犠牲に

 関東大震災は1923年9月1日午前11時58分、神奈川県西部を震源に発生したマグニチュード(M)7.9の地震から始まりました。現在の東京都や神奈川、千葉、埼玉、山梨各県で、今の基準で震度6弱〜7の揺れがあり、大きな被害が出ました。

 発生が昼食時で火を使う時間帯と重なったため各地で火災が起き、死者・行方不明者は約10万5000人に上りました。このうち約65%は大火災が起きた東京の犠牲者です。

地震直後、火の手が上がった東京・日比谷交差点付近=1923年9月1日

気象庁「関東大震災から100年」特設サイト(https://www.data.jma.go.jp/eqev/data/1923_09_01_kantoujishin/index.html) をもとに作成

 マグニチュードと震度  地震の大きさを表す指標であるマグニチュード(M)は、観測した地震のデータを計算式に当てはめて算出します。Mが1増えると地震のエネルギーは約32倍になります。これに対して震度は、ある場所での地震の揺れの強さです。関東大震災当時の日本では0〜6の7階級あり、観測する人の感じ方などで決めていました。現在は0〜4、5弱、5強、6弱、6強、7の10階級あり、全国に4000カ所以上ある震度計で測ります。
「忘れられない」100年前の記憶

 「あの頃のことは忘れられません。地震の時どうなるか、嫌ってほど覚えてる」。12歳の時、関東大震災を体験した高嶋フジさん(111)は昨年10月と今年2月のニッポン放送の取材にそう話しました。

 地震の時、現在の神奈川県逗子市内の自宅にいたフジさんは2歳の弟と一緒に地割れや津波から逃れ、高台の墓地で三日三晩、食事もできずに過ごしたといいます。「よく生きてこられた。運がよかった」。フジさんの貴重な証言は5月、同局の特別番組で放送されました。

大震災後に設けられた避難所の内部=撮影場所、時期不明(元写真:東京都復興記念館所蔵資料、白黒写真カラー化:東京大学大学院 渡邉英徳研究室)

神奈川、千葉 押し寄せた津波 地滑り

 震源に近い神奈川県や千葉県も大きな災害に見舞われました。伊豆半島や房総半島などには、地震発生直後に10メートル前後の津波が押し寄せました。

 現在の神奈川県小田原市にある根府川駅では、地震による地滑りで停車中の列車が海に押し流され、約130人が亡くなりました。

東京中心部の4割焼失  震災当時の東京の中心部は「東京市」で、人口は約220万人だった。地震発生から約46時間にわたる大きな火災が発生し、強風にあおられた下町を中心に東京市の4割以上が焼失した。電気、水道などは各地で寸断された。

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