誰もが一度は抱いたことのあるような問いについて、哲学者が、子どもたちとともに考えていくという形で書かれた「子どもの哲学」シリーズの第2弾『この世界のしくみ 子どもの哲学2』(毎日新聞出版刊)。大人も子どももいっしょになって、ゆっくりと考えてみませんか。本書から一部をご紹介します。本書のもとになった「てつがくカフェ」は、毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中です。
「来る」のではなく「始まる」……コーノさん
「新しい年」というモノがあったとしたら、どこから来るのか知りたいよね。「来る」という言葉を使うからといって、それがどこかから移動してやってくるモノだとは限らないよ。電車は、前の駅から線路を移動して「来る」。ウサギは草むらから、別の草むらに飛び込んで「来る」。隕石は宇宙から落ちて「来る」。こういう物体は、どこかからやって来る。でも「新しい年」は、電車とか、ウサギとか、隕石とかいったモノではないので、本当にどこからかこちらに向かってやって来るわけじゃないんだ。
たとえば、「大好きなテレビ番組の時間が来るよ」とか、「もう少しで冬休みが来るよ」という言い方をするけど、この番組も冬休みもどこかにいて、それがこっちにやってくるわけじゃなくて、「番組が始まるよ」「冬休みが始まるよ」という意味だね。だから、「新しい年が来る」というのも、「新しい年が始まるよ」という意味だね。「来る」という言葉を使っているけど、文字通りにどこからか移動してくるのではなくて、「それが始まる時間になりましたよ」という意味なんだ。
新しい年というのは、人間が決めた決まりごとで、神様や自然がそう定めたわけじゃない。むかしむかし誰かが、「この日を一年の始まりにしよう」ってルールを決めて、みんなが、それに従っているだけなんだ。
だから新年はどこからか来るわけじゃない。
なんで「来る」と言うの?……マツカワさん
たしかに、新しい年はどこか別の場所からやって来るわけじゃないよね。でも、じゃあ、なんで「来る」なんて言い方をするんだろう?
そういえば、「来る」の逆は「行く」だけど、「新しい年へ行く」とは言わないよね。自分が「行く」ほうだったら、自分の意思で急いだりゆっくり進んだりできそうだけど、時間はそうじゃない。「早くお年玉が欲しい」と急いでも、新しい年に予定より早くたどり着くことはできないし、「まだ大掃除が終わっていないから」と、新しい年が始まるのを遅らせることもできない。どんなに待ち遠しくても私たちには待つしかできないし、ちょっと待ってほしくても待ってはもらえないんだ。時間に対して、私たちは受け身でしかいられないんだね。
でも、コーノさんも言う通り、新しい年というのは人間が決めたことなのに、早めたり遅くしたりできないなんて、不思議だなあ。
「新年」で時間を管理……ツチヤさん
マツカワさんの言う通り、時間の前では僕たちは完全に無力だ。時間の流れや、そのスピードに対しては、僕たちはどこまでも受け身であらざるをえない。でも僕たちは、そんな時間を「管理」することで、時間を少しでも自分たちに従わせようとしている。時間の進み方を予測して、計画を立て、無駄をなくすことで、限られた時間を最大限有効に活用しようとしているんだ。
そう考えると、「新年」というのは、人間が時間をうまく管理するための便利な道具のようにも見えてくる。本当は同じような日々がただただ延々繰り返されているだけなんだけど、その中のある日を「元日」と定めて時間の区切りを作ることで、そこでいったん立ち止まり、そのあとの三百六十四日分の計画を立てられるようになる。三百六十五日ごとに振り返りの一日があることで、これまでの計画をチェックして修正するきっかけになる。
そう考えると「新年」は、たしかに人間の決めたルールにすぎないんだけど、人間が何とかして時間と立ち向かおうとする知恵の結晶のようにも見えてくるね。
★「てつがくカフェ」は毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中
<5人の哲学者をご紹介>
河野哲也(こうの・てつや)
立教大学文学部教育学科教授。専門は哲学、倫理学、教育哲学。NPO法人「こども哲学 おとな哲学 アーダコーダ」副代表理事。著書に『道徳を問いなおす』、『「こども哲学」で対話力と思考力を育てる』、共著に『子どもの哲学』ほか。
土屋陽介(つちや・ようすけ)
開智日本橋学園中学高等学校教諭、開智国際大学教育学部非常勤講師。専門は哲学教育、教育哲学現代哲学。NPO法人「こども哲学 おとな哲学アーダコーダ」理事。共著に『子どもの哲学』、『こころのナゾとき』シリーズほか。
村瀬智之(むらせ・ともゆき)
東京工業高等専門学校一般教育科准教授。専門は現代哲学・哲学教育。共著に『子どもの哲学』、『哲学トレーニング』(1・2巻)、監訳に『教えて!哲学者たち』(上・下巻)ほか。
神戸和佳子(ごうど・わかこ)
東洋大学京北中学高等学校非常勤講師、東京大学大学院教育学研究科博士課程在学。フリーランスで哲学講座、哲学相談を行う。共著に『子どもの哲学』ほか。
松川絵里(まつかわ・えり)
大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任研究員を経て、フリーランスで公民館、福祉施設、カフェ、本屋、学校などで哲学対話を企画・進行。「カフェフィロ」副代表。共著に『哲学カフェのつくりかた』ほか。
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