小泉八雲と怪談ニッポン【月刊ニュースがわかる10月号】

物には命があるの? <この世界のしくみ>

 誰もが一度は抱いたことのあるような問いについて、哲学者が、子どもたちとともに考えていくという形で書かれた「子どもの哲学」シリーズの第2弾『この世界のしくみ 子どもの哲学2』(毎日新聞出版刊)。大人も子どももいっしょになって、ゆっくりと考えてみませんか。本書から一部をご紹介します。本書のもとになった「てつがくカフェ」は、毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中です。

生き物とただの物の区別……コーノさん

 人間や動物や草花のような生き物には命があるけれど、机や筆箱やおもちゃのような物には命はあるのかと疑問に思ったのかな。この問いに答えるには、「物」とは何か、「命」とは何かを考えておかなきゃならない。人間も含めて動物とか植物とかは命のある物だから、「生き物」とか「生物」とか呼ばれているよね。だから、生き物とただの物を区別するのはどうすればよいかな。

 たとえば、犬には命があるよね。じゃ、犬のしっぽには命はあるかな? 犬の毛には? もしあなたが、しっぽや毛には命はないと考えたとすると、どうしてかな。人形には命があるかな? 人形の髪にはあるかな? 中身に詰まっている綿とか、針金とかは? 人形には命があるんじゃないかと思えても、その部品には命があるように見えないね。どうやら、命があると思えるのは何かまとまりがあるものみたいだね。地球も大きな物だよ。地球に命があるとすると、私たちもその一部なのかな。どの辺で私たちは、物に命があるとかないとか思うのだろう。こう考えると、何に命があって、何には命がないのかって、区別するのが難しいね。

 私は死なないものには命はないと思う。だから、壊れることはあっても死ぬことがない筆箱には命はないと思う。

物を大切に思う気持ち……ゴードさん

 コーノさんの言うように、命があるものとそうでないものをきちんと区別するのは、実は難しい。ただ、ふだん私たちは、机や筆箱やおもちゃのことを、動物や植物とは区別して、生き物ではない「物」だと考えている。

 けれど、そういう「物」には命がないと思っていながら、まるで命があるかのように扱うこともある。たとえば、大事な物に名前をつけたり、おもちゃを捨てるときにお別れをしたり。音楽やスポーツをする人は、楽器や道具にも、「今日もよろしくね」「いつもありがとう」って声をかけているかもしれない。生き物ではない物に、そんなことをするのはなぜかな。

 私は、まるで物にも命があるかのように扱うことによって、人は物を大切にして、物の力を最大限に引き出すようにしてきたのだと思う。相手が命のない物だと思うと、つい、どんなに粗末に扱ってもいいような気がしてしまう。でも、この物が生きていて、何かを感じているのだと思うと、こんなふうにされたらいやかな、どんなふうに動きたいのかなって、物のあり方や特徴を受け止めて、想像する気持ちが生まれてくる。つまり、物にも命があると考えるのは、物を大切にして十分に生かすために、人間が自分自身にかけている、よく効くおまじないなのではないかな。

物と人の命の違いは?……ムラセさん

 コーノさんは、命があるものと思えるものにはまとまりがあるけど、どれに命があるかを区別するのは難しいと言っている。ゴードさんは、物の中にはまるで命があるかのように扱われる物があって、それは物を大切にするためだって言っている。たしかに僕たちは、物に命があるかのように言うときがある。この前、パンツを捨てたのだけど、その時、僕は「このパンツはもう寿命だ」と思ったんだ。ゴムが伸びきってしまっていたからね。僕だけじゃなく、道具には「寿命」がある、そんな言い方をよくする。物は寿命を過ぎると、もう「使えない」。もちろん、こういう意味での「寿命」と、人間の「寿命」や「命」とは何か違う。でも、正確にはどこが違うんだろう?

 物の寿命が尽きるのは、その物が役に立たなくなったときだ。人間の場合は違う。人の命については、役に立つとか立たないとかは関係がない。別の言い方をすれば、人の命は、それだけで存在しているけど、物の命はそうではないということだ。大切さはどうだろう。ある道具の寿命が尽きて役に立たなくなったら、その大切さもなくなってしまう。「価値」が失われてしまう。でも、人の命は、役に立つかとは関係なく、それだけで大切だ。

 仮に物に命があるとしても、物の命と、人の命はだいぶ違うもののようだ。他にどんな違いがあるんだろう?
「てつがくカフェ」は毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中

<5人の哲学者をご紹介>

河野哲也(こうの・てつや)

立教大学文学部教育学科教授。専門は哲学、倫理学、教育哲学。NPO法人「こども哲学 おとな哲学 アーダコーダ」副代表理事。著書に『道徳を問いなおす』、『「こども哲学」で対話力と思考力を育てる』、共著に『子どもの哲学』ほか。

土屋陽介(つちや・ようすけ)

開智日本橋学園中学高等学校教諭、開智国際大学教育学部非常勤講師。専門は哲学教育、教育哲学現代哲学。NPO法人「こども哲学 おとな哲学アーダコーダ」理事。共著に『子どもの哲学』、『こころのナゾとき』シリーズほか。

村瀬智之(むらせ・ともゆき)

東京工業高等専門学校一般教育科准教授。専門は現代哲学・哲学教育。共著に『子どもの哲学』、『哲学トレーニング』(1・2巻)、監訳に『教えて!哲学者たち』(上・下巻)ほか。

神戸和佳子(ごうど・わかこ)

東洋大学京北中学高等学校非常勤講師、東京大学大学院教育学研究科博士課程在学。フリーランスで哲学講座、哲学相談を行う。共著に『子どもの哲学』ほか。

松川絵里(まつかわ・えり)

大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任研究員を経て、フリーランスで公民館、福祉施設、カフェ、本屋、学校などで哲学対話を企画・進行。「カフェフィロ」副代表。共著に『哲学カフェのつくりかた』ほか。

 

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