大久保利通は薩摩藩(鹿児島県)の下級武士出身の敏腕政治家です。明治維新では政府の中心的存在として、版籍奉還、廃藩置県、地租改正などを進め、いまに続く官僚機構の基礎をつくりました。
近代国家への急な歩みにふり落とされ、不満をつのらせていたのが士族(元武士)です。西郷隆盛は大久保と幼なじみでしたが、政治方針の違いからたもとを分かち帰郷。士族らにかつぎ上げられて1877(明治10)年に西南戦争を起こし、敗れて自決しました。次の年、大久保も不平士族におそわれ、この世を去りました。
囲碁で頭の疲れ いやした
生前の大久保は切れ者で通り、後に息子が「父は頭を使いすぎた時、碁を打ってリラックスしていた」と回想するほど囲碁好きでした。薩摩藩で頭角を現せたのも藩政の実力者、島津久光に囲碁を介して接近できたおかげです。大久保はやがて藩の中心人物となり、西郷や岩倉具視とともに1867(慶応3)年、王政復古のクーデターを実行。明治維新の功労者となりました。
そんな歴史エピソードを記念して、没後90年にあたる1968(昭和43)年、日本棋院から「名誉七段」の免状を贈られています。
(「ニュースがわかる」2018年2月号の「レキッパ!!」より)