健大高崎(群馬)の箱山遥人捕手(18)は春の甲子園に2度出場し、2024年の選抜大会では主将として初優勝に貢献した。台湾で行われたU18(18歳以下)アジア選手権で高校日本代表にも選ばれ、高校卒業後は社会人野球の名門・トヨタ自動車に入社する。世代屈指の「打てる捕手」として活躍し、持ち前のリーダーシップでチームを引っ張った高校野球生活を振り返った。 (取材/構成・高橋広之)
――24年選抜大会決勝は、前年に初戦となった2回戦で敗れた報徳学園(兵庫)との再戦でした。
相手もこちらも選手が、大きく変わっていたので特に意識はしませんでした。初めて戦う相手という感じでした。
――初優勝の瞬間は今でも覚えていますか。
なんだか必死すぎてあまり覚えていなくて。おそらく「落ち着け」とか「普段通りいくぞ」とか、そんなことしか言っていなかったです。うまく表現できないんですけど、最高だったなって思います。(最後の打者は)空振り三振だったと思います。ファウルチップで、ちょっとカチッて音が鳴ってミットに収まりました。後はもう覚えていなくて。とにかくもうグラウンドに皆が集まっていました。

箱山遥人(はこやま・はると) 2006 年4月26 日生まれ。東京都足立区出身。小学1年生頃から野球を始め、健大高崎では1年秋からメンバー入りした。優勝した24年選抜大会では準々決勝と準決勝でいずれも3安打を放つなど大会通算4割4分4厘の高打率を記録。「強肩強打」の捕手として注目された。右投げ右打ち
――出身の東京都から群馬県の健大高崎に進学しました。
バッティングがすごいというイメージがありました。キャッチャーで活躍している健大高崎出身の選手が大学、社会人、プロにいたのも決めた理由です。
――23年の選抜大会は2年生ながら「4番・捕手」として出場しました。報徳学園との初戦は、2人の投手陣をリードしながら、打撃でも3打数2安打1打点の活躍でした。
初めて甲子園に入った時は「すごくきれいで、これが甲子園なんだあ」って新鮮な感覚でした。(試合をして)甲子園の空気感を知ることができたと思います。応援の雰囲気もそうですし、(球場の)景色も違いました。初めての甲子園で自分は下級生だったので、割と楽しめたと思います。もっとやりたかったなと思えました。
――新チームでは主将を任されました。
チーム内でも自分しかいないという雰囲気だったので、自分もそのつもりでした。「自分の思い描いた通りにする」というのが理想で、厳しいことでも言うべき時にはしっかり伝えるようにしていました。厳しくするのは自分だけじゃなく、全員に対してもそうでした。全員が互いにプレーについて話し合うことを意識していました。
(誰かに指摘した)一人が浮いてしまうようなことではありません。全員が気づいたことを言えるように意識する。全員でやるからこそ、普通の雰囲気になっていきます。それが日常化することを目指していました。
――主将就任後の秋季関東大会では準決勝で敗れました。相手は23年の選抜大会を制した山梨学院でした。
詰めの甘さがあって勝てる試合を落としていた感じでした。気持ちに隙が生まれてしまい、負けたんだと思います。試合に懸ける思いは強かったので、(優勝したチームが出場できる)明治神宮大会に出られない悔しさはすごく大きかったです。それを忘れずに、しっかり冬場を過ごそうとチームメートと話し合いました。
――24年の選抜大会は悔しさを忘れずに冬場の厳しい練習を乗り越えた末の優勝でした。優勝後には「夏も甲子園に戻りたい」という発言もありました。
正直、勢いというのはありませんでした。前年の経験から春と夏は全く別の大会だと思っていたので。「夏に向けて全く違うチームにしないと勝てないよね」っていうような話をしていたことを覚えています。春夏連覇したチームはここ10年でも(18年の)大阪桐蔭さんしかいません。春に優勝したチームが、なぜ夏に負けるのかというところからまずは考えました。
――選抜大会で優勝後、5月の春季関東大会は準々決勝敗退でした。
疲労もありましたし、すれ違いではないですが、(チーム全員が)夏に向けて同じ方向に行っていないっていうところがありました。どうしてもそういう時期はあるので、しょうがないなとは思っていました。それでも(夏の地方大会が始まる前には)大丈夫だと思える状態で入ることができました。

第96回選抜大会【山梨学院1-6健大高崎】二回裏の打席で右前打を放つ健大高崎の箱山遥人主将=2024年3月28日、北山夏帆撮影
――「選抜王者」のプレッシャーは。
もちろんありました。どのチームも負けたら最後なので、相手は本当に怖いものなしの体当たりでぶつかってきます。そうした試合を勝ち抜くチームが夏は勝てると思っていたので、粘り強く戦うことを意識していました。自分たちはどちらかというと「勝たなきゃいけない」というプレッシャーがあるチームです。自分たちに対して向かってくる相手をはね返すエネルギーが足りないと勝てません。
――ロースコアの展開が多かった夏の群馬大会を9年ぶりに制してつかんだ夏の甲子園でしたが、1勝で終わりました。
(夏の大会が)終わって全員で振り返った時に分かったことがありました。9年ぶりに夏の甲子園に行けたことへの思いが正直強すぎたのだと思います。夏の甲子園に行けたことに多少ながら満足していた部分がありました。目標は「春夏連覇」と口では言っていましたけど、もうその時に既に達成感があったんだと思います。
――夏の甲子園の後にはU18アジア選手権の高校日本代表にも選ばれ、プロ野球のドラフト候補としても注目されました。しかし、ドラフト会議で名前が呼ばれることはありませんでした。
当日は練習していて、落ち着いて、いつも通りの感じでした。いつ呼ばれるかなっていうふうには思っていましたけど……。(指名漏れした後は)本当に何も分からないので、いろんな人の話を聞いて、進路を決めようと思いました。自分のやりたいことと、それにつながる一番良いと思えたところに行きたいという話は、青栁(博文)監督と両親としました。
――すぐに社会人野球の名門・トヨタ自動車への内定が決まりました。
野球のレベルもそうですし、最もプロの世界に近い環境で野球をやりたいと思って、行くことを決めました。
――最後に高校野球生活で得たことは。
誰かがいたからこそ自分もみんなもいい思いができた3年間だったと思います。常に誰かに支えられていることを自覚し、感謝しながらプレーしていきたいです。そういう気持ちだけは忘れちゃいけないと思っています。

将来の目標を書いた色紙を手に=三浦研吾撮影

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