誰もが一度は抱いたことのあるような問いについて、4人の哲学者が、子どもたちとともに考え進めていくという形で書かれた『子どもの哲学 考えることをはじめた君へ』(毎日新聞出版刊)。大人も子どももいっしょになって、ゆっくりと考えてみませんか。本書から一部をご紹介します。本書のもとになった「てつがくカフェ」は、毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中です。
宇宙中に広がっている……ムラセくん
心って不思議だよね。なんとなく心臓や脳のあたりにある気もするけれど、おなかが空すけばおなかのあたりにある気もする。何かを考えているときは、まったく別のところにいってしまっているようにも思える。ラジオで外国の話をしていれば、自分がそこへ行っているように感じるし、大切な時間を思い出すときは、まるで自分が過去の世界に行ったようにも思える。君もこんなふうに感じたことはないかな? もしこの感じが正しいとすると、心は自由にどこへでも行けるということになる。
試しに目をつぶって月について考えてみよう。ほんものの、あの月のことだ。そのとき、じっさいに月の上に降り立つわけではないけれど、心のなかのあの月には行くことができる。ということは、ほんものの月も心のなかにあるってことだ。変な感じがするかもしれないけれど、さっきも言ったように、僕たちが考えているのは、ほんもののあの月なんだ。ほんもののあの月は一つしかないのだから、それについて考えられるのなら、月も心のなかにあるということになる。だとすると、心は世界中――いや、宇宙中に広がっているということになるね! だって宇宙中のことを考えることができるし、どこへでも行ける!
というわけで、僕の答えは、心は宇宙中に広がって存在している、だ。
心は存在しない……コーノくん
心というものが、ほんとうにあるのかな? 机やマンションみたいなものと同じ意味で、心って存在するのかな。この問いを考えてくれた君は、悲しいときには「胸」が痛んだり、怒っているときには「腹」が立ったりする、と言っていた。たしかにそうだけれど、それは心というものが胸にあって痛んだり、腹にあって熱くなったりするんじゃない。胸や腹に、ただそういう身体の状態が生じただけ。そういう感覚を感じるのが心だって言う人もいるけれど、それは「心が何かを感じる」という言葉の表現の仕方をそのまま信じて、言葉通りに「心」というものがあると思い込んでいるだけじゃないかな。感覚が身体のどこかに生じただけであって、それはたとえば目の前にある自動車の色が赤いのと、同じじゃないのかな。
「考える」ということもそう。ほんとうは、外から聞こえない独り言を言っているだけ。独り言を言うのは、心というものではない。声を出して話をしている人を見て、「あの人の心が話している」と言わないのといっしょだ。その人が話をしただけ。だから、心というものはない。「心」と呼ばれている身体の状態やふるまいがあるだけだよ。存在しているのは、人間の身体と行動だけだ。その一部を「心」と呼んでいるだけだと思うね。
心は脳にある……ツチヤくん
コーノくんは、「考える」「胸が痛む」「腹が立つ」に共通する「心」なんてものはないと言っている。たしかに、そう言われるとそんな気もしてくるけれど、では、この三つに共通するものは何もないんだろうか?
たとえば、これらはすべて「睡眠中には起こらない」という点では共通している。眠りながら考えたり、腹を立てたりすることは(夢の場合を除けば)ないものね。だとしたら、これら三つはすべて、睡眠となんらかの関係がありそうだ。
では、睡眠とはなんだろう? それは、起きているときとは異なったパターンの脳波が出ているってことだ。
このことから、心は脳の状態と強く結びついていると言えないだろうか。だって、少なくとも「考える」「胸が痛む」「腹が立つ」という現象が、脳の影響を受けて生じているのは間違いなさそうだもの。だとしたら、頭ではなく胸や腹で感じる感情も、薬や電気信号で「脳」に刺激を与えれば人工的につくり出せるのかもしれない。そうすると、感情も思考も、結局は脳に支配されていると言えそうだ。心はやっぱり脳にあるんじゃないかな。
「心は脳にある」なんて、なんだかものすごく常識的な結論に思えるかもしれない。でも、常識をなんとなく信じるのと、常識をいったん疑って、よく考えた末に常識に戻るのとでは、全然違う。ムラセくんとコーノくんの意見は、心についての考え方としては全然常識的じゃなかった。けれど、僕は二人の「非常識」な意見を大真面目に検討して一生懸命考えた結果、気づいたらいつのまにか常識的な結論にたどり着いていたんだ。哲学するってこういう感じなんだ!
まとめ 心ってなんだろう……ゴードさん
「心」って、自分のなかの、何かを感じたり思ったりする部分のことだね。感じたり思ったりするのは自分だから、自分の身体のなかのどこかに「心」というものが入っていそうな気がする。でも、心が動くときには、身体中のいろいろなところが反応するし、心だけを身体のなかから取り出してくることはできない。だから、心ってどこにあるのか、よくわからなくなってしまう。
ムラセくんは、心は、遠くにも近くにも、未来にも過去にも、宇宙のありとあらゆるところにいくことができるから、心は宇宙全体に広がっているはずだと言っている。びっくりするような考えだけど、たしかに心にはそういう特徴があるね。でもそれなら、心に思い浮かべたことが間違っていたり、覚え違いをしてしまうことがあるのはなぜなんだろう。心が宇宙中に広がっていてすべてを見渡すことができるのなら、何も間違えたりしないんじゃないかな。
コーノくんは、心というものがあるのではなくて、ただいろいろな身体の状態やふるまいを「心」と呼んでいるだけだと言っているよ。でもツチヤくんは、「心」の働きと呼ばれているものには共通点があって、それは脳の働きと関係している、と言っている。たしかに脳の働きが変化すると、心にも影響がありそうだね。でも、脳と心は「強く結びついている」というけれど、それはどんな関係なんだろう。
三人の考えに共通しているのは、「心」というのは、目や胃とか、ペンや机のような、世界にある「もの」の名前ではないということだね。だから、心のある「場所」も探すことができないんだ。でも、ものではない心と世界のものとの関係や、ものでない心とものである身体(特に脳)との関係は、まだまだよくわからないなあ。
★「てつがくカフェ」は、毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中
<4人の哲学者をご紹介>
コーノくん 河野哲也(こうの・てつや)
慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は哲学・倫理学・教育哲学。現在、立教大学文学部教育学科教授。NPO法人「こども哲学おとな哲学アーダコーダ」(副代表理事)などの活動を通して哲学の自由さ、面白さを広めている。
ツチヤくん 土屋陽介(つちや・ようすけ)
千葉大学大学院社会文化科学研究科博士課程満期退学。博士(教育学)(立教大学)。専門は子どもの哲学(P4C)・応用哲学・現代哲学。現在、開智国際大学教育学部准教授。
ムラセくん 村瀬智之(むらせ・ともゆき)
千葉大学大学院人文社会科学研究科修了。博士(文学)。専門は現代哲学・哲学教育。現在、東京工業高等専門学校一般教育科准教授。
ゴードさん 神戸和佳子(ごうど・わかこ)
東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。専門は哲学教育。現在、長野県立大学ソーシャル・イノベーション研究科講師。中学校・高等学校等での対話的な哲学の授業のほか、哲学カフェ、哲学相談などの実践・研究も行っている。
画像をクリックするとAmazonの『子どもの哲学 考えることをはじめた君へ』のページにジャンプします