神田外語キャリアカレッジ は、神田外語大学や神田外語学院を母体とする神田外語グループの一事業体として、語学を起点にグローバル社会における課題の解決やプロジェクトを推進できる人材の育成に取り組んでいます。
今回はそんな当校の代表、仲栄司のグローバルビジネスでの体験談をお送りいたします。グローバル環境の中で仕事を進める上でのヒントや異文化についての気づきなど体験談を交えながら繰り広げられる世界には、失敗談あり、ハラハラ感あり、納得感あり。ぜひお気軽にお読みください。
価格交渉が決着したあと、Natelco社に商品の詳細説明を行いました。(参考:「第33回“We do not approach to him from here.(こちらからアプローチはしません)」)
ジェイン社長は、オーストラリアからスコット・キングというエンジニアを雇い入れ、彼に説明してくれるようにと言ってきました。ただでさえ、技術的なことに詳しくない私は、スコットのオーストラリアンイングリッシュに悩まされました。何を言っているのかよくわからないのです。今思えば、英語だけでなく、要領を得ないスコットの説明の仕方にも原因があったように思います。
こうしてNatelco社と共にローンチングへ向け準備を開始しました。Natelco社のオフィスはボンベイ(ムンバイ)の街中にありましたので、出張はいつもボンベイでした。しかし、ボンベイの街の渋滞のひどさには閉口しました。ホテルはいつも空港の近くだったので、ホテルからオフィスまで車で通います。ふつうは40分くらいで着くところが、朝は2時間もかかるのです。この時間のロスはストレスでした。また、帰路も渋滞に見舞われ、2時間以上かかりました。アジアはバンコク、マニラ、ジャカルタ、いずれの都市も渋滞がネックになりますが、ボンベイも例外ではありませんでした。「真珠のネックレス」と言われたボンベイの海岸線は確かに美しかったですが、毎日渋滞が続くと「何が真珠のネックレスだ。抜け道も逃げ道もまったくないではないか!」とぶつくさ愚痴を言う毎日でした。
各州に所在するNatelco社のオペレーター子会社では、社長はじめ社員の雇用が進み、体制が整ってきました。ジェインと共に各社を回り、NECの会社概要とページャーの商品を説明しました。準備は着々と進みます。広告宣伝もNEC本社から予算を確保し、インドの主要紙にローンチの日に合わせ、広告を打つ手筈を整えました。ローンチの前日には、担当役員と事業部長にもインドに入ってもらい、Natelco社をはじめ主要オペレーターやディーラーを招待し、ローンチングパーティを開催しました。パーティーはデリーで行いましたが、ボンベイからデリーに移る飛行機に乗った際、爆弾が仕掛けられたという通報が入り、フライトが遅れるハプニングがありました。ヨーロッパのときは、現地法人があったので、この種のパーティーのアレンジはやりやすかったのですが、インドではパートナーのNatelco社に委ねる部分が多く、何が起こるかわからない緊張感がありました。もっともこの爆弾の件は、Nateclo社のせいでも何でもありませんが。
こうしてパーティーも無事に終了し、ローンチングの日を迎えることになりました。その日、ホテルの朝刊を手にした私は、いよいよ始まりだ、と感慨を新たにしました。NECの広告を見たジェインは我々のメッセージに満足していました。彼も私と同じ気持ちだったと思います。
“NEC pages India !”(NECがインドを呼んでいる!)
我々のメッセージはインド全土に発信されました。

著者情報:仲 栄司
大学でドイツ語を学び、1982年、NECに入社。退職まで一貫して海外事業に携わり、ドイツ、イタリア、フィリピン、シンガポールに駐在。訪問国数は約50カ国にのぼる。NEC退職後、 国立研究開発法人NEDOを経て、2021年4月より神田キャリアカレッジに。「共にいる時間を大切に、お互いを尊重し、みんなで新たな価値を創造していく」、神田外語キャリアカレッジをそんなチームにしたいと思っています。俳句と歴史が好きで、句集、俳句評論の著書あり。