誰もが一度は抱いたことのあるような問いについて、4人の哲学者が、子どもたちとともに考え進めていくという形で書かれた『子どもの哲学 考えることをはじめた君へ』(毎日新聞出版刊)。大人も子どももいっしょになって、ゆっくりと考えてみませんか。本書から一部をご紹介します。本書のもとになった「てつがくカフェ」は、毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中です。
生きることが目的……コーノくん
「なぜ?」って言われても困るなぁ。だって、もう気がついたら生きてしまっているし、心臓などは勝手に動いているから、だよ。なぜ生きるのか知らなくても、生きているでしょう。だからそんな疑問なんて、きっとどうでもいいことなんだよ。けれどこの問いは、君自身が生きていることに何か意味があるかどうかを聞いているんだよね。君は、自分がただ生きているだけじゃなくて、生きることに意味を与える目的や理由のようなものがあるんじゃないかって思っている。
そういうときは、山奥でキャンプをしてみるといいよ。いまの日本での生活は、水や食べ物、家などが簡単に手に入るけれど、山奥では、飲める水を探して運ぶだけで大変。高い山や森のなかでは、食べ物だってなかなか見つからない。そう、生きているだけでせいいっぱい。
都会でも病気になったりけがをしたら、毎日毎日、生きていること自体が目的だよ。「人はなぜ生きるのか」という問いが生まれるのは、生きていることが容易なため。だから、それ以上のことがしたくなるし、生きていること以外に目的があるように思うんだよ。
でも私は、生きることには生きること以上の目的や意味なんてないと思う。生きること以外の目的なんて、あってもなくてもたいしたことじゃない。だから、私はただなんとなく生きて、満足している。それで十分さ。
幸せになるために……ムラセくん
たしかに、いつもはなんとなく生きているし、生きていること自体が目的って感じもする。だけど、生きていること以外に何か目的とか理由みたいなものが必要なときもあるし、じっさいそういう理由ってあると思う。
たとえば、幸せになることや楽しいと感じることは、そういう目的や理由になる。つまり、人は幸せになるために生きているし、楽しいから生きているってことだ。誤解してほしくないのは、この幸せとか楽しいというのは、ごはんを食べて満腹! みたいな気持ちよさじゃないってことだ。まわりから見るときつそうだし、じっさいにもけっこう大変だったりするときでも、幸せだったり、楽しいと思えたりする、そんな幸せや楽しさだ。こういうものは、生きる目的や理由になる。もちろん、何をするとそう思えるかは、人によって違うと思うよ。でも、君にもそう思えるものがあるし、きっと見つかるんじゃないかな。
え? もしそれがない人や見つからなかった人はどうするかって? もちろん、そういう人には生きる理由がないことになるよね。でも、「人はなぜ生きるのか」に対して、どんな答えを言ったとしても、それに当てはまらない人はいると思う。みんなに当てはまるような答えはたぶんないと思うんだ。
生きた結果に幸せがある……ツチヤくん
ムラセくんとコーノくんは、生きることに目的や理由があるのかどうかで異なる意見をもっているみたいだ。コーノくんはそんなものはないと考えていて、生きること自体が目的だと言っている。これに対してムラセくんは、幸せになることが生きる目的ではないか、と言っている。
でも僕は、幸せになることが生きる目的だっていう考え方をあまり好きになれない。だって、幸せになることが人生の目的だとしたら、そのために一生懸命努力をしなくちゃいけない気がするし、もっともっと幸せになるために他人とも競争しなきゃいけないんだとしたら、そんなの疲れちゃうだけで、全然楽しい人生とは思えないからだ。
そもそも、幸せって目指してなるものなのかな? 一生懸命好きなことをしたり、遊んだりして、その結果「いまが幸せだなあ」って感じることはあるけれど、それはあくまでも結果であり、最初から「幸せになろう」と思って、好きなことをしたり遊んだりしているわけじゃないんじゃないかな。
だから、幸せになることは生きる「目的」ではなくて、生きた「結果」だというのが僕の意見だ。でも、そういう「結果」を得るためには、コーノくんのように「ただなんとなく生きている」だけでもダメな気がする。じゃあどうしたらいいのかは、僕にはまだよくわからないけれど。
まとめ どんなふうに生きたい?……ゴードさん
「人はなぜ生きるのか?」という問いに答えるためには、どうやら、ほかのいろいろな問いについて考えないといけないみたいだよ。
コーノくんとムラセくんは、「生きることに目的や理由なんてあるの?」という問いについて、いっしょに考えている。コーノくんは目的も理由もないと言うけれど、ムラセくんは目的も理由もあると言っている。どちらが正しいのかな。目的も理由もなくただ生きるだけなんて、ちょっと物足りないような気もする。でも、何かの目的のためにがんばって生きるのも、大変そうだね。生きる目的を見失うかもしれない、と思ったら、少し不安にもなる。やっぱり目的なんていらないのかなあ。
ムラセくんとツチヤくんは「幸せになることと生きることは、どんな関係になっているの?」という問いについて、いっしょに考えている。ムラセくんは、幸せになることが生きる目的で、僕たちは幸せになるために生きているんだ、と言っている。でもツチヤくんは、その考えは間違いで、好きなことをしたり遊んだりして生きていると結果的に幸せになれるんだ、と言っている。どちらが正しいのかな。ツチヤくんの言う通り、幸せのためにがんばりすぎて無理をしたら、結局不幸せな人生になってしまう気もする。でも、目標のためにがんばっているときには、幸せな気持ちになっているような気もするな。あれ、そもそも幸せってなんだったっけ。
なぜ生きるのかを考えていたら、結局、わからないことが増えてしまったよ。あなたは、なぜ生きているの? なんのために、どんなふうに、生きたいと思う?
★「疑問氷解」は毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中
<4人の哲学者をご紹介>
コーノくん 河野哲也(こうの・てつや)
慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は哲学・倫理学・教育哲学。現在、立教大学文学部教育学科教授。NPO法人「こども哲学おとな哲学アーダコーダ」(副代表理事)などの活動を通して哲学の自由さ、面白さを広めている。
ツチヤくん 土屋陽介(つちや・ようすけ)
千葉大学大学院社会文化科学研究科博士課程満期退学。博士(教育学)(立教大学)。専門は子どもの哲学(P4C)・応用哲学・現代哲学。現在、開智国際大学教育学部准教授。
ムラセくん 村瀬智之(むらせ・ともゆき)
千葉大学大学院人文社会科学研究科修了。博士(文学)。専門は現代哲学・哲学教育。現在、東京工業高等専門学校一般教育科准教授。
ゴードさん 神戸和佳子(ごうど・わかこ)
東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。専門は哲学教育。現在、長野県立大学ソーシャル・イノベーション研究科講師。中学校・高等学校等での対話的な哲学の授業のほか、哲学カフェ、哲学相談などの実践・研究も行っている。
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