誰もが一度は抱いたことのあるような問いについて、4人の哲学者が、子どもたちとともに考え進めていくという形で書かれた『子どもの哲学 考えることをはじめた君へ』(毎日新聞出版刊)。大人も子どももいっしょになって、ゆっくりと考えてみませんか。本書から一部をご紹介します。本書のもとになった「てつがくカフェ」は、毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中です。
気分転換してみよう……ムラセくん
すごくよくわかる! 僕も嫌なのに、その嫌なことばかりをいつも考えていたよ。どうしてなんだろう。
二つに分けて考えてみよう。一つは、考えるべき問題がある場合。たとえばテストの前で、悪い結果ばかりを考えてしまうような場合だ。これは考えるべき理由があるから、じっくりと向き合って、どうやったらテストでいい結果を得られるか――もっとわかりやすく言えば、どうやって勉強を進めていくかを考えるしかない。こうした考えるべき問題がある場合は、自分が嫌だったとしても考えるしかない。問題が向こうからやってきて、考えてくれーって迫ってくる感じだ。
でも、そうじゃない場合もある。ほんものの問題があり、考えるべき理由があるのなら、じっくりと向き合えばいい。けれど、それがあまりにつらかったり、理由もなくてただ頭が暴走してしまっているときもある。次々と嫌なことが頭に浮かんでしまって、それを考えてしまう。そんな場合だ。
残念だけど、僕たちは自分の思考をいつでも自分でコントロールできるわけではないんだ。こういうときは、外側から考えられなくするのがいいと思う。僕があるときから趣味でラジオを聴きはじめたのは、このためだ。ほかに、身体を動かすというのもいいよね。ラジオなら、音楽より誰かのトークを聞くほうが僕には効果的。その人が話していることを聞いていれば、その話で自分の頭がいっぱいになっていって、少しは考えなくて済むからだ。オススメだよ。
自分を苦しめるのはよそう……コーノくん
健康なのに病気になったらどうしよう、火事になったらどうしよう、と考えてしまうのかな。そういうのを「心配性」っていうよね。ムラセくんが言うように、起こる可能性のあること――たとえば、地震が起こったらどこに避難するかなどを考えることは大切だよ。あらかじめ考えて備えられることをやっておくのは大切だし、必要なことだね。
でも、ほとんど起きそうにないことや、考えても仕方がないことをくり返し考えているのって、自分を自分でいじめているのと同じじゃないかな。君は楽しいことや幸せなことがあると、自分はもっとつらい目にあわなければならないのではないかと思っていないかな。自分のせいで誰かが嫌な目にあっていると考える人は、自分がもっと苦しまなきゃいけないと考えてしまうことがあるよ。心配性って、何も悪いことはしていないのに、自分に罰を与えている状態だと思うんだ。
でも考えてみて。そうやって自分が嫌な思いをしても、誰も喜ばないし、君を心配する人もいるはずだよ。いじめは、他人に対してやるのと同じくらい、自分に対しても、よくないことだよ。
コントロールできないもの……ツチヤくん
コーノくんの話はたしかに納得できるのだけど、心配性の人がコーノくんの話を聞いて「よし! 今日からは余計なことを考えるのをやめよう!」と決意したとしても、それだけで考えたくないことを考えないようになれるとは思えない。この点で、僕はムラセくんの言っていることのほうに共感するな。つまり「考える」っていうのは、必ずしも自分の意志でコントロールできるような行為じゃないって、僕も思うんだ。何かを考えようと思って考えることもあるけれど、「考え」ってふつうは心のなかに急に浮かんできたり、向こうのほうから一方的に「襲って」きたりするものなんじゃないかな? だから、考えたくないことを考えてしまうのは、おなかが急に痛み出すようなもので、理由なんてなくて、ただそうなる原因があるだけなんだ。
ちょっと極端な話かもしれないけれど、何もしていないのに嫌なことや心配事で頭がいっぱいになって、ベッドから起き上がれなくなっているとしたら、その人はストレスで心が疲れきっていて、心の病気にかかっている可能性がある。つまり、病気で脳の状態がおかしくなってしまったことが原因で、考えたくないことを考えてしまうということもありうるんだ。そんなときはお医者さんに相談して治療をしてもらえば、頭が心配事でぐちゃぐちゃになっている状態から抜け出せるはずだよ。これは全然おかしなことじゃない。おなかが痛くなったときに、病院に行って薬を飲んで痛みを止めるのと、まったく同じことなんだ。
まとめ 考えるってなんだろう……ゴードさん
「考える」って、自分がやることなんだから、自分で全部コントロールできそうな気がする。だけど、考えたいことがあるのにぼーっとしてしまったり、考えたくないことで頭がいっぱいになってしまったりすることがある。どうしてなんだろう。
三人はそれぞれ違った原因を考えているよ。ムラセくんは、じつは自分の考えというのは、すべて自分でコントロールすることはできないものなんだと言っている。だから、考えたくないことを考えてしまうことがあるのは、仕方がないというんだね。そういうときは、ほかのことで頭をいっぱいにするような工夫ができるんだって。効果があるかどうか試してみよう。
コーノくんは、心のどこかに、自分はもっとつらい目にあわなければいけないという気持ちがあると、それが原因で嫌なことや心配なことばかり頭に浮かんでしまうことがあると言っている。そういうときは、自分をいじめるのをやめて、自分は楽しいことばかり考えていてもいいんだって思うようにしないといけないね。
ツチヤくんは、心や脳も、ほかの身体の部分と同じように病気にかかるから、それが原因で嫌なことばかり考えてしまうこともあると言っているよ。たしかにそうだね。ムラセくんやコーノくんが教えてくれた方法を試してみても、効かなくて苦しくなってしまうなら、お医者さんに相談したほうがよさそうだね。
それにしても、言われてみれば、考えってちっとも自分でコントロールできてないね。𠮟られているときに思い出し笑いしちゃったり、同じ曲が頭のなかをぐるぐる回っていたりすることもある。それなら逆に、自分でコントロールできるのって、どういう考えなんだろう。
「てつがくカフェ」は、毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中
<4人の哲学者をご紹介>
コーノくん 河野哲也(こうの・てつや)
慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は哲学・倫理学・教育哲学。現在、立教大学文学部教育学科教授。NPO法人「こども哲学おとな哲学アーダコーダ」(副代表理事)などの活動を通して哲学の自由さ、面白さを広めている。
ツチヤくん 土屋陽介(つちや・ようすけ)
千葉大学大学院社会文化科学研究科博士課程満期退学。博士(教育学)(立教大学)。専門は子どもの哲学(P4C)・応用哲学・現代哲学。現在、開智国際大学教育学部准教授。
ムラセくん 村瀬智之(むらせ・ともゆき)
千葉大学大学院人文社会科学研究科修了。博士(文学)。専門は現代哲学・哲学教育。現在、東京工業高等専門学校一般教育科准教授。
ゴードさん 神戸和佳子(ごうど・わかこ)
東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。専門は哲学教育。現在、長野県立大学ソーシャル・イノベーション研究科講師。中学校・高等学校等での対話的な哲学の授業のほか、哲学カフェ、哲学相談などの実践・研究も行っている。
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