「フロイデ シェーナー ゲッターフンケン~」。12月になると、耳慣れない言葉の合唱が街中に響きます。ドイツの作曲家、ベートーベンが作曲した「交響曲第9番ニ短調 作品125」、通称「第九」です。この時期にはプロの音楽家だけでなく、アマチュアによる演奏会も盛んに行われ、年末らしい催しとして風物詩になっています。今年は曲の誕生から200年という節目の年です。なぜ長い間、世界中で愛され続けているのでしょうか。第九に詳しい独協大学外国語学部ドイツ語学科の矢羽々崇さんに聞きました。【西田佐保子】
◇第九って何?
第九は、交響曲(シンフォニー)というジャンルの音楽です。第1楽章から第4楽章まで四つの楽章で構成されています。ベートーベンが作った最後の交響曲としても有名です。皆さんが耳にしたことのある合唱は、第4楽章後半の「歓喜の歌」と呼ばれています。1824年5月7日に、オーストリアの都市、ウィーンで初めて演奏されました。当時、ベートーベンは54歳でしたが、10年ごろからすでに耳がほとんど聞こえない状態でした。
当初、曲の評判はあまり良くありませんでした。しかし、後に作曲家のワーグナーが独自の曲の解釈をして演奏したことなどで、評価が高まりました。
第九の最大の特徴は、交響曲に、歌の「合唱」が取り入れられている点です。言葉のメッセージは聴く人に直接届きます。歌詞にある「全ての人間は兄弟になる」は、当時、ベートーベンの伝えたいメッセージだったと考えられます。
◇どんな歌詞なの?
ドイツの有名な詩人、シラーの書いた詩「歓喜に寄せて」がベースになっています。「『歓喜』の女神が人々をひとつに結びつけ、みなが兄弟になるように、手を取り合って一体となるように」というメッセージが中心です。1786年、シラーの友人であるケルナーの楽譜付きで発表されました。これが大人気となり、ドイツ中で歌われたといいます。
ベートーベンも当時、シラーの詩に触れていたようです。この詩にメロディーをつけたのはケルナーとベートーベンだけではありません。作曲家のシューベルトを含むさまざまな人たちが、こぞって曲を作り、「第九」以前に実に30以上の曲が生まれたそうです。
1803年にシラーは詩を書き直します。「暴君のくびき(制限)から逃れよ」といった革命を思わせる言葉が含まれたためです。第九で採用している詩は改訂版です。ただ、ベートーベンは詩の3分の1を削り、何度も同じ言葉を繰り返します。そのため、超有名人だったシラーの詩を直すとは何事だ!といった批判が発表当時はあったといいます。
ちなみに太宰治の小説「走れメロス」は、シラーの物語詩「人質」からアイデアを得て書かれました。
◇日本での初演はいつ?
1918年6月、第一次世界大戦で捕虜になったドイツ兵が、徳島県板東町(現・鳴門市)の収容所で演奏したのが初だとされます。合唱の女声パートを書き換えて、全て男声に編曲して歌われました。当時はすべての楽器が手に入るわけではなく、自分たちで組み立てたものもあったといいます。収容所の所長・松江豊寿さんが文化的活動を認め、演奏会や劇の上演も盛んだったそうです。
実は、「シラーは詩に『自由』という言葉を使いたかったものの、国の検閲を恐れて『喜び』に変えた」という伝説が、19世紀にまことしやかに語られていました。ただ、伝説とはいえ、捕虜の人たちも、自由を思いながら歌っていたのかもしれませんね。
日本人としては、24年1月に九州大学のフィルハーモニー・オーケストラが、第4楽章の一部を初めて演奏しました。同年11月には、東京音楽学校(現・東京芸術大学)で初めて第1~4楽章が演奏されています。
◇第九の魅力とは?
「苦悩を通して歓喜を得る」。これはベートーベンが手紙に残した有名な言葉です。第九にはドラマ性があります。第1~3楽章を乗り越えて、第4楽章で歓喜のクライマックスを迎える――まさにベートーベンの言葉の通りです。年末第九の演奏会に参加するアマチュア合唱団の人たちは、歌い終えると一体感と達成感、さらには解放感を得られると話します。
ドイツでは、お祝いの場面で演奏する曲と認識されています。ベルリンの壁が崩壊し、1990年の東ドイツと西ドイツの統一を祝って演奏されたのも第九でした。日本では、長野オリンピックの開会式などでも演奏されてきました。「すべての人間が兄弟になる」という平和や平等、連帯を願うメッセージが、今も変わらず世界中の人々の心に響き続けているのではないでしょうか。
◇なぜ師走に演奏されるの?
ドイツのライプチヒという都市で第一次大戦後の1918年、平和と自由を願って大みそかにライプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団が第九を演奏したのが始まりだといわれています。その後、ベルリンなどドイツの他の都市でも大みそかに演奏されるようになります。そのときに指揮をしていた一人が、ポーランド生まれでユダヤ系のローゼンシュトックでした。彼はとても感激したといいます。
ナチス政権から迫害を受けていたローゼンシュトックは36年、日本へ渡ります。そして新交響楽団(現・NHK交響楽団)で指揮した演奏が40年の大みそかの夜にラジオで放送されました。これが師走(年末)に演奏するきっかけになったと考えられます。日本には年の瀬に、楽しくやって一年の苦悩を忘れようという「年忘れ」の文化があるため、「師走に第九」が定着したのかもしれませんね。
◇「歓喜の歌」の歌詞(抜粋)
喜びよ、美しい神々の火花よ、
楽園エリュウジウムの娘よ
私たちは炎に酔って
天上のものよ、そなたの聖所に入る
そなたの力は再びつなぎ合わせる
世の習いが厳しく分け隔てたものを
すべての人間は兄弟となる
そなたの翼がとどまるところで
訳:矢羽々崇
(2024年11月27日毎日小学生新聞より)