誰もが一度は抱いたことのあるような問いについて、4人の哲学者が、子どもたちとともに考え進めていくという形で書かれた『子どもの哲学 考えることをはじめた君へ』(毎日新聞出版刊)。大人も子どももいっしょになって、ゆっくりと考えてみませんか。本書から一部をご紹介します。本書のもとになった「てつがくカフェ」は、毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中です。
ふつうが求められるとき……ツチヤくん
「ふつう」ってなんだろう? 「ふつう」という言葉の第一の意味は、変わったところがないってことだ。なんの特徴もなくて、ありふれていて、悪く言えばつまらない。僕はむかしから変わったものが好きなので、ふつうってあんまり好きじゃないな。
変わったものを見たり、変わった考え方に触れたりすることは、まず何よりも面白いし、それによって好奇心が刺激されて、自分でも勝手にあれこれ考えられるようになるから好きなんだ。だから僕は、できるだけ変わった人間でありたいといつも思っているし、こういう対話をしているときでも、できる限りふつうの人は考えないような変わった考えを言ってみたいと思っている。なので「君ってふつうだね」と言われたらちょっと悔しい。そういうことを言われると、自分はいてもいなくても変わらないんだ、と思って落ち込むんだ。
でも「ふつうにしなさい」とか「そんなのふつうじゃないよ」と言われるときって、注意や非難をされているときだよね。だとすると、変わっていなくてありふれていることが望まれる場面もあるということだ。
あなたはどう思う? 自分の友だちが個性的であってほしいと思うときと、ほかの人と同じようにしてほしいと思うときの、両方の場合があるよね。どんなときに、どんな理由で、ほかの人と同じようにしてほしいと思うんだろう。そして、その理由はほんとうに納得できるものかな。
ふつうがいい理由……コーノくん
ツチヤくんが言うように、「ふつう」って言葉には、特徴がないといった意味もあるけれど、それ以外の使い方として、「基準」や「ルール」という意味もあるんだよ。「ふつうはこうだよ」なんて言い方をよくする人は、後者の意味で「ふつう」って言葉を使っているんじゃないかな。つまり、「君のやっていることはふつうじゃない」と言う場合、「君の行動はルールに反している」からやっちゃいけない、と言っているんだよ。
でも、どうしてその人は「そんなことをしちゃいけないよ」とか「それはルール違反だよ」って素直に言わないのかな。それは、「やってはダメ」と言うと相手から「なぜ、ダメなの?」と言い返されちゃうし、「ルール違反」と言うと「そんなルールってほんとうにあるの? 誰がそう決めたの?」と反論されるかもしれないからだ。
「ふつう」って言葉は、誰かのことを「みんなと同じことをしなきゃダメだよ」と批判したいけれど、そういう本人もなぜみんなと同じことをしなければならないのか、ほんとうの理由がわからないというときに使う言葉なんだ。「ふつうのやり方」って、ほんとうの意味のルールではないし、みんなにはっきり認められた基準でもない。自分が勝手に「これがふつうだ」と思い込んでいるだけで、ほかの人には通用しないことも多いんだ。
だから、君は「どうして、そのふつうのやり方をしなければいけないの?」「私のやり方のどこがいけなかったの?」って質問してみたら? ちゃんと答えてくれた人とは「ふつう」とは何かについて話し合ってみよう。
ちゃんと答えてくれないでただ「みんなといっしょの行動をとれ!」って言う人もいるかもね。でも、そんな押しつけがましい人の言うことなんて聞く必要はないよ。
ふつうでなくたっていい……ムラセくん
「ふつうにしなさい」って、ツチヤくんが言うように𠮟られたりするときに使われるし、コーノくんが言うように「みんなと同じことをしなきゃダメだよ」という意味もありそうだ。
それにしても、人はそれぞれ違う生き物なのだからほんとうはみんなバラバラな言動をするものだし、それで構わないはずなのに、なぜみんなと同じでなければいけないと思うのだろう?
一つは、コーノくんが言っているように、ルールとして必要だからだ。「信号が赤のときは止まる」というルールは、みんなが守らないと事故が起こる。だから、みんなと同じことをしたくないからといってルール違反をすると、みんなが困ることになる。でも、そういうちゃんとした理由なしに「とりあえず同じようにしよう」って思うのは、言い訳をするときに便利だからだと僕は思う。怒られたときに「みんなもしていました」と言ったら、たしかに、ちょっと仕方ないかな、という気にもなってしまう。
きっと「ふつうにしなさい」と言う人は、ふだんの自分の行動にちゃんとした理由がない人なんじゃないかな。だから、いつも言い訳するときのことを考えて、「ふつう」にしちゃうんだ。ということは、君の行動にちゃんと理由があれば、そんな言葉にしたがう必要なんかない。いくら「ふつうじゃない」と言われても、「だからどうしたの?」って、気にしなくていいんだ。
まとめ その言葉で何を言おうとしているの?
……ゴードさん
「ふつう」という言葉の意味は、辞書を引けば出てくる。特に変わったところがないという意味だね。でも、「変わったところがない」ということは特徴がないということだから、「ふつうにする」とか「ふつうのやり方」なんて言われると、何をどうすることなのか、よくわからなくなってしまう。
ツチヤくんは、ふつうは嫌だと思うときと、ふつうがいいと思うときの両方があると言っている。たしかに、ふつうでないという意味には二種類ある。個性的で特別だという、いい意味もあるけれど、変わっているとかおかしいという、悪い意味もあるね。この二つは何が違うんだろう。そのくせ「個性をのばそう」なんてことも言われるから、ますますわからなくなってしまうね。
コーノくんは、ふつうにしなければならないと言われるときの「ふつう」は、基準やルールという意味だと言っている。ただみんなと同じにしなければならないわけではなくて、それがルールだからしたがわなければならないことがあるんだね。でも、ルールをよくわかっていない人が、うまく説明できないからという理由で、とにかく自分にしたがわせようとして「そんなのふつうじゃない」って言うこともある。あなたもそんなふうに言ってしまうことはないかな。
ムラセくんは、ルールでもないのに、どうして人と同じことをしないといけないって感じるのか、考えている。そして、自分の行動にちゃんとした理由がないとき、言い訳をするために、人と同じにしているのではないかと言っているよ。三人の話を聞いてみると、どうやら「ふつう」という言葉をあまりにも使いすぎている人は、世のなかのルールや、自分が行動する理由について、ほんとうは自分のなかでよくわかっていないみたいだね。「ふつう」って口に出す前に、ふつうという言葉を使って自分が何を言おうとしているのか、よく考えてみたほうがよさそう。
<4人の哲学者をご紹介>
コーノくん 河野哲也(こうの・てつや)
慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は哲学・倫理学・教育哲学。現在、立教大学文学部教育学科教授。NPO法人「こども哲学おとな哲学アーダコーダ」(副代表理事)などの活動を通して哲学の自由さ、面白さを広めている。
ツチヤくん 土屋陽介(つちや・ようすけ)
千葉大学大学院社会文化科学研究科博士課程満期退学。博士(教育学)(立教大学)。専門は子どもの哲学(P4C)・応用哲学・現代哲学。現在、開智国際大学教育学部准教授。
ムラセくん 村瀬智之(むらせ・ともゆき)
千葉大学大学院人文社会科学研究科修了。博士(文学)。専門は現代哲学・哲学教育。現在、東京工業高等専門学校一般教育科准教授。
ゴードさん 神戸和佳子(ごうど・わかこ)
東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。専門は哲学教育。現在、長野県立大学ソーシャル・イノベーション研究科講師。中学校・高等学校等での対話的な哲学の授業のほか、哲学カフェ、哲学相談などの実践・研究も行っている。
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