誰もが一度は抱いたことのあるような問いについて、4人の哲学者が、子どもたちとともに考え進めていくという形で書かれた『子どもの哲学 考えることをはじめた君へ』(毎日新聞出版刊)。大人も子どももいっしょになって、ゆっくりと考えてみませんか。本書から一部をご紹介します。本書のもとになった「てつがくカフェ」は、毎日小学生新聞で毎週木曜日に連載中です。
頭の回転が速い人?……ツチヤくん
この問いは、中学校や高校での哲学対話の授業では特に人気があるよ。この問いをめぐって中高生と対話をすると、意外にも「勉強ができる人」「成績の良い人」のような意見はあまり出てこないんだ。
では、どんな人を「頭が良い」と思うのかというと、たとえば「要領の良い人」「状況判断が的確な人」「アドリブの利く人」といった意見が多く出る。つまり、知識のあるなしではなくて、現状を冷静に分析して適切な判断を下せる人が頭が良いってことだね。たしかに、そういう人は頭の回転も速いし、勉強も効率よくできるから、きっと成績も良いのだろう。
でも、もし頭の良さがそういう能力を身につけることだとしたら、そもそも学校に通う必要はあるんだろうか。学校で知識を学ぶより、むしろ部活やボランティア活動で社会と関わるほうが、そういう分析力や判断力を磨くことはできる気がする。だとしたら、学校で勉強する意味って、いったいなんだろう?
また、この考え方でいくと、一流のスポーツ選手や人気タレントたちは、ほとんどが頭の良い人だってことになるよね。自分がいま置かれている状況を素早く分析して、その場にふさわしい判断をとっさに下せなかったら、スポーツやテレビの世界で生き残っていくことはできないはずだから。だとするとそういう人たちは、たとえじっさいには学生時代の成績が悪かったとしても、もしそのころに本気で勉強に打ち込んでいたとしたら、必ず良い成績をとれていたんだろうか?もしも一流のサッカー選手が、学生のころにサッカーに出会わずに勉強に目覚めていたとしたら、その持ち前の分析力と判断力を活かして、必ず一流の大学に入れていたと思う?
自分の無知を自覚する人?……ムラセくん
僕は、頭の良い人は「謙虚な人のこと」だと思うな。たしかにツチヤくんの言うように現状を冷静に分析して適切に判断を下せる人や、いろいろな知識をもっている人も頭が良い人って感じがする。だけど、自分が何かができるからといって、そのことを誇って人をばかにしたりする人って、どうなんだろう。ほんとうは頭が良いわけではない気もする。
頭の良さってむしろ、自分の現状に満足しないで動き続けることにあるんじゃないかな。この「謙虚さ」と似たことを、「自分がものを知らないということを知っていることだ」って言った人がいるんだけど、その感覚に近いかな。この言葉は「無知の知」なんて言われている。判断力がある人や知識をもっている人は、何かが「できる」人っぽいけれど、むしろ自分がどれくらい「できない」か、足りないのか、そのことを強く意識している人こそほんとうに頭の良い人だし、頭が良い状態であり続けられるんじゃないかな。
良い脳をもった人?……ゴードさん
そもそも「頭が良い」って変な言い方だよね。なんだかいろいろなことをまとめ過ぎじゃないかな。
たとえば、料理上手で包丁を器用に使う人や、縫い物が上手な人、素晴らしいピアノ演奏をする人など、いろいろな人がいるけど、それを全部まとめて「手が良い」なんて言わないよね。走るのが速い人と、スケートの上手な人をまとめて「足が良い」なんて言わない。「心が良い」も、やっぱりほとんど言わない。優しいとか、真面目だとか、どんなふうに良いのかをちゃんと言うよね。それなのに、どうして「頭が良い」なんておかしな言い方があるんだろう。ツチヤくんやムラセくんが言うように、いろいろな良さがあるのだから、それをきちんと言えばいいのに。
おそらく頭が良いと言いたくなるときには、頭のなかにある脳のことを考えているんだと思う。何かがよくできる人を見たときに、「そんなことができるのは、この人が生まれつき、人よりも良い脳をもっているからだ」と推測しているんだ。だから、頭が良い人というのは、きっと「良い脳をもった人」という意味だと思うよ。脳はいろいろなことをするときに働いているから、いろいろな良さを、脳の良さのおかげだと考えることができるんじゃないかな。
だけど、やっぱりそれもおかしい。だって、その人がすごいのにはほかの理由があって、脳のおかげではないかもしれない。それに、脳は生きている限りいつも働いているのだから、ピアノが上手な人も、足の速い人も、よく眠る人も、何かがよくできる人は全員「頭が良い人」ということになってしまうはずだよ。
まとめ 気にしないで好きなことをやろう……コーノくん
君は、学校の成績が良ければそれで頭が良いことにはならないと思っているんじゃないかな。ツチヤくんもムラセくんもゴードさんも、頭が良いって、単純に学校の成績が良いのと同じことではないって言っている。ツチヤくんは、その状況でうまく判断できる人は頭が良いという中高生たちの意見に少し疑問を感じている。ムラセくんは、謙虚な人は学び続けることができるから頭が良いという。ゴードさんは人間にはいろいろな能力があるから、全部ひっくるめて頭が良いなんてありえないって言う。私はゴードさんの考えに賛成だな。「頭が良い」っていろいろな意味で使う言葉だよ。
でも、それ以前に、なぜ君は頭が良いかどうかってことを気にするのかな。私は、自分が頭が良いかどうかなんて全然気にならない。自分のやりたいことに夢中になっていると、人からどう思われるかはあまり気にならない。頭が良いかどうかなんて、長い人生のなかでは、考えてもあまり意味のないことだよ。
人にほめてもらいたくて勉強している人は、学校の成績が良くても、人にほめてもらい満足するとそこで勉強をやめてしまう。面白い勉強はほかにもたくさんあるし、いくら勉強してもわからないことが絶えず出てきて、だからこそ探求しがいがあるというのに、えらい人に認められたと思うと勉強しなくなっちゃう人がいる。もったいないね。自分の頭が良いかどうかを考えるよりも、自分の好きなことを見つけて夢中になったほうがいいよ。
コーノくん 河野哲也(こうの・てつや)
慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は哲学・倫理学・教育哲学。現在、立教大学文学部教育学科教授。NPO法人「こども哲学おとな哲学アーダコーダ」(副代表理事)などの活動を通して哲学の自由さ、面白さを広めている。
ツチヤくん 土屋陽介(つちや・ようすけ)
千葉大学大学院社会文化科学研究科博士課程満期退学。博士(教育学)(立教大学)。専門は子どもの哲学(P4C)・応用哲学・現代哲学。現在、開智国際大学教育学部准教授。
ムラセくん 村瀬智之(むらせ・ともゆき)
千葉大学大学院人文社会科学研究科修了。博士(文学)。専門は現代哲学・哲学教育。現在、東京工業高等専門学校一般教育科准教授。
ゴードさん 神戸和佳子(ごうど・わかこ)
東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。専門は哲学教育。現在、長野県立大学ソーシャル・イノベーション研究科講師。中学校・高等学校等での対話的な哲学の授業のほか、哲学カフェ、哲学相談などの実践・研究も行っている。
画像をクリックするとAmazonの『子どもの哲学 考えることをはじめた君へ』のページにジャンプします