日本は、トルコ共和国(以下トルコ)が建国した翌年の1924年、外交関係を結びました。以来100年にわたって、経済、文化、教育など各分野で交流を深めてきました。国同士も民間での交流も活発です。どのような国で、どうして仲良くなったのでしょうか?【木谷朋子】
◇どこにあるの?
トルコは、アジアとヨーロッパの二つの大陸をつなぐ場所に位置します。黒海、地中海、エーゲ海の三つの海に囲まれ、東にはアルメニア、イラン、アゼルバイジャン、北東にジョージア、北西にブルガリアとギリシャ、南東にイラクとシリアと、多くの国と国境を接しています。国土の97%はアジア側のアナトリア半島にあり、3%がヨーロッパ側です。ヨーロッパ側とアジア側は、黒海とエーゲ海を結ぶダーダネルス海峡、マルマラ海、ボスポラス海峡によって隔てられています。首都アンカラはアジア側にあります。一方、最大の都市イスタンブールはアジア側とヨーロッパ側にまたがって位置しています。
豊かな平野が広がる一方で、平均標高が1132メートルと、トルコは高地や山岳地帯が多いのも特徴です。最も高いアララト山(5165メートル)は、旧約聖書の中で、人々や動物が乗って洪水を逃れた「ノアの箱舟」がたどり着いたとされる場所としても有名です。
◇トルコ人ってどんな人?
トルコは仲の良い「親日国」の一つです。その大きなきっかけとされるのが、1890年9月16日に起こった、オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号遭難事故でした。現在の和歌山県串本町沖で沈没し、500人以上が犠牲になりました。生き残った乗組員69人を地元の人たちが命がけで救助し、翌年、乗組員は日本海軍の軍艦で無事帰国しました。
この話には「エルトゥールル号の恩返し」といわれる興味深い後日談があります。イラン・イラク戦争が続いていた1985年3月17日、日本から救援の飛行機が来ない中、イランの首都・テヘランの空港に取り残された日本人215人全員が、トルコ政府が派遣した救援機で爆撃予定時刻の約1時間前に脱出できたとされる出来事です。
当時の駐日トルコ大使は、こう話していたそうです。「エルトゥールル号の事故の時に日本人がしてくれた救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史の教科書で学びました。トルコでは子どもたちもエルトゥールル号のことを知っています。それで、困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」
◇どのような産業が盛ん?
首都はアンカラですが、経済の中心は最大都市イスタンブールです。現在もヨーロッパ、中東、アフリカ、アジアとの物流や金融の重要な拠点となっています。
産業は、観光業などサービス業が国内総生産(GDP)の半分以上を占めます。その他の産業は繊維、食品加工、自動車、電子機器、鉱業、鉄鋼、石油などです。特に自動車は日本やヨーロッパのメーカーが製造工場を置き、ヨーロッパ向けの輸出が盛んです。
トルコ文化観光省は、2023年のトルコへの外国人観光客の数が、前年より10%増えて5670万人だったと発表しました。観光収入は前年比17%増の543億アメリカドル。外国人観光客数と観光収入は過去最高(かこさいこう)です。見どころが多い割に、ヨーロッパ旅行よりも割安なことや、治安が悪くないことなどが人気の背景にあるようです。
◇どんな世界遺産が?
観光資源が多いトルコは、世界的な観光大国です。世界の東西の交わる場所にあることから、数多くの文化・文明が誕生してきました。古代遺跡や歴史的建造物など、世界的な重要文化財が数多く残っています。国内には現在、21か所の世界遺産があります。
例えば、東ローマ帝国時代の建物「ビザンチン建築」の最高傑作とされる「アヤソフィア」や、オスマン帝国繁栄のシンボル「トプカプ宮殿」などは、最大の文化遺産です。また、円すい形の奇岩が集まる「カッパドキアの岩石遺跡群」や、無数の石灰岩が棚田のように広がる「パムッカレ」なども、海外からの旅行者に人気があります。(2024年9月18日毎日小学生新聞より)