江戸時代末期~明治維新に活躍した江戸(東京)生まれの政治家。西洋の学問や航海術を学び、幕府の使節に同行する形で、咸臨丸(かんりんまる)でアメリカへ渡った。帰国後は 坂本龍馬ら人材を育成。幕府側の代表として西郷隆盛と会談し、江戸無血開城を実現させた。1823(文政6)~1899(明治32)年 。
その見識に坂本龍馬も感服
貧しい武士出身の勝海舟は、剣術や蘭学に励み、海防に関する意見書を江戸幕府に提出して出世の糸口をつかみました。長崎海軍伝習所に勤め、海軍の専門家として兵器や軍艦を扱う兵士を育成しました。
1860(安政7・万延元)年、幕府は日米修好通商条約を結ぶため使節団を送ることになり、勝は護衛艦「咸臨丸」の艦長役として同行します。上陸したアメリカの発展ぶりに目を奪われ、帰国後は神戸海軍操練所を設立。その見識に感服して、弟子入りしたのが坂本龍馬です。
倒幕の機運が高まる中、勝は幕府の交渉役として活躍します。1868(慶応4)年に新政府軍が江戸に攻め入った時、旧幕府軍の代表として西郷隆盛と会談。「もし江戸で戦(いくさ)が起これば、大勢の庶民が苦しむ」と説得して攻撃をやめさせ、江戸城を平和的に新政府軍へと引き渡しました。
身分が上の人にズバズバ直言し、実行力も優れていた勝でしたが、意外な弱点もありました。咸臨丸で太平洋を航海していた時、船酔いがひどくて部屋から出てこられなかったそうです。
(「ニュースがわかる」2018年5月号の「レキッパ!!」より)