【ニュースがわかる2024年10月号】巻頭特集は「発明が世界を変える」

グローバルの窓 “Speculative nights in Dehli !”(なんと思索的なデリーの夜!)

神田外語キャリアカレッジは、神田外語大学や神田外語学院を母体とする神田外語グループの一事業体として、語学を起点にグローバル社会における課題の解決やプロジェクトを推進できる人材の育成に取り組んでいます。今回はそんな当校の代表、仲栄司のグローバルビジネスでの体験談をお送りいたします。グローバル環境の中で仕事を進める上でのヒントや異文化についての気づきなど体験談を交えながら繰り広げられる世界には、失敗談あり、ハラハラ感あり、納得感あり。ぜひお気軽にお読みください。

 インドに1か月以上滞在し、私はどのようにしてページャー(※1)市場を攻略するか考えました。ドイツでの事業立ち上げのときは、まずはハーター(※2)のような核となるマネジャーを採用し、彼と共に計画を作り、顧客開拓を行いました。顧客開拓はハーターの人脈をベースに行い、私は専ら生産、開発を含めた事業企画の切り口からハーターをサポートしました。日本の事業部をその気にさせ、事業部を牽引するのが私の最大の役割でした。営業面はハーター中心で、私はハーターを徹底的にサポートしました。現地の体制は、最終的に現地法人を設立し、そこに営業部隊を中心に拡充していきました。ハーターを頂点とするチームですから、誰を雇用するかは、立ち上げ時はハーターの人脈に頼りました。ハーターの優れたところは、ドイツだけでなく、イタリア、オランダ、スペインなど欧州各国に人脈を持っていることでした。

※1 日本ではポケットベルと呼ばれ、電波で小型受信機に情報(文字など)を送る機器です。当時は「インドでページャーのサービスが始まる」と大々的に報じられていました。

※2 NECの社員時代に、共に西欧でのビジネスを成功させたドイツ人の同僚です。(参考:「第3回 “Never give up!”」)

 それに比べ、今回のインド市場の攻略はまったく状況が違います。まず、現地法人がインドにありません。つまり、核となるNECの営業マネジャーがいないのです。ドイツのときは、いずれ現地法人を設立する前提でハーターを雇用しましたが、今回のインドはそこまで事業立ち上げの見通しがついていませんでした。駐在員事務所はありましたが、そこでの事業は通信のインフラを中心とする日本からの直接輸出事業で、私が担当するオフィス機器は日本からの輸出ベースではとても対応できません。事業のスピード感が違うのです。量販商売ですから在庫がないととても対応できず、また、保守サービスも必要で、現地に体制をつくることは必須でした。

 ということでまず私がやらないといけないことは、事業パートナーを探すことでした。実際に各都市を回り、事前に調査した中からこれはと思うパートナー候補を訪問しました。10社以上訪問したでしょうか。ファックスや電話で事前にアポを取ったり、飛び込み訪問もしたりしました。候補会社の事業理念、事業状況、ページャーへの取り組み意欲、販売力、サポート力、財務状況などは勿論のこと、なぜ、そしてどのようにしてページャー事業に取り組むのかを議論しました。しかし、このときも一番大事だと思ったのは、一緒にやっていく相手側の人物でした。ハーターのような「Never give up」のマインドと粘り強く、柔軟に対応できる人物を私は求めました。

 1か月の出張のあとも1~2週間の出張を何度か繰り返したあと、とうとうパートナー候補を3社に絞りました。途中、インドネシアを担当する部下にもインドに入ってもらい、一緒に議論、検討しました。既にその年(1994年)も終わろうとしていました。私は年内には決めるつもりでしたが、なかなか決め切れませんでした。冬のデリーのホテルで一人苦悩していたのを今でも思い出します。あたりは暗く、静かで、インドにいると哲学的になる感じがしました。インド人がゼロを発見したというのもわかるような気がしました。

 候補会社ですが、一社は非常に性格のいい穏やかな社長で新規事業も展開している会社だったのですが、少しNEC任せのような姿勢が感じられたので、最終的に落としました。もう一社は、営業GMクラスの人でHIS(IT系の大企業)の幹部、バティアでした。非常に魅力的で説得力もあり、事業構想も明快に持っていました。ハーターとドイツでディスク事業を立ち上げたときのように、互いに志を共有でき、共感し合えました。心情的にはバティアと組みたいと思いました。しかし、もう一社の魅力を捨て切れませんでした。その会社はページャーサービスのオペレーターのライセンスをほぼ各州に持つNatelcoでした。携帯電話やページャーの商売は、ドコモやAU、ソフトバンク、楽天のようにオペレーターがビジネスの中心にいます。そういう会社とパートナーが組めるというのは強烈な魅力でした。しかもインド全土をほぼカバーできるのです。社長のプラカシュ・ジェインは事業を大きく捉える戦略家、経営者という感じで、性格も柔らかく、魅力的でした。ただ、少し大風呂敷を拡げるところがあり、肌理の粗さがやや目に付きました。

 人物的にはよりバティアに惹かれつつ、事業全体ではオペレーターを傘下に持つNatelcoという感じでした。ポイントはドイツでハーターに賭けたように、インドでジェインに賭けられるかでした。バティアは申し分ないのですが、オペレーターには食い込めていません。もちろんそこを開拓するのがバティアの手腕となるのですが、その点では、ジェインは既に傘下にオペレーターを20社ほど持っています。これは携帯やページャービジネスでは圧倒的に有利で、パートナーとして魅力的でした。

 冬のデリーの暗い夜は長く、私の思考は堂々巡りとなりました。しかし、もう決めないとNatelcoはモトローラに行ってしまいます。アジア事業部として新規市場開拓を任され、事業拡大を期待されていた私にとって、インド市場攻略は最重要課題でした。それは部全体の期待でもありました。

著者情報:仲 栄司
大学でドイツ語を学び、1982年、NECに入社。退職まで一貫して海外事業に携わり、ドイツ、イタリア、フィリピン、シンガポールに駐在。訪問国数は約50カ国にのぼる。NEC退職後、 国立研究開発法人NEDOを経て、2021年4月より神田キャリアカレッジに。「共にいる時間を大切に、お互いを尊重し、みんなで新たな価値を創造していく」、神田外語キャリアカレッジをそんなチームにしたいと思っています。俳句と歴史が好きで、句集、俳句評論の著書あり。