【ニュースがわかる2024年7月号】巻頭特集は「沸騰」する地球の未来

グローバルの窓 “Please take action for business potentiality of pager in India and Pakistan”

神田外語キャリアカレッジは、神田外語大学や神田外語学院を母体とする神田外語グループの一事業体として、語学を起点にグローバル社会における課題の解決やプロジェクトを推進できる人材の育成に取り組んでいます。今回はそんな当校の代表、仲栄司のグローバルビジネスでの体験談をお送りいたします。グローバル環境の中で仕事を進める上でのヒントや異文化についての気づきなど体験談を交えながら繰り広げられる世界には、失敗談あり、ハラハラ感あり、納得感あり。ぜひお気軽にお読みください。

「インパキのページャーを何とかせよ」
 これがアジア事業部に移って課長を拝命し、事業部長から最初に受けた命でした。「インパキ」とはインドとパキスタンのこと。ページャーは、日本ではポケットベルと呼ばれ、電波で小型受信機に情報(文字など)を送る機器です。
 背景を探ってみると、モバイル事業部の幹部が、新聞記事を私の部の事業部長に突き付け、「インパキでページャーのサービスが始まると大々的に報じられている。アジア事業部としてどう考えている?早くやらないとLate Comerになるぞ」と言ったようです。たしかにFirst Comerのメリットは大事です。イタリアの携帯電話事業でもサービス開始とともに市場に参入できたので、その後ずっと20%以上の高いシェアを維持でき、優位に事業展開できました。

 私はさっそくモバイル事業部の事業部長以下に声をかけ、ミーティングを開きました。「インパキでページャーサービスが始まります。実際に現地に飛んで市場状況を調査し、事業プランをいっしょに考えたいので協力してください」とお願いしたのです。しかし、モバイルの事業部長から「営業がまず市場をよく調べてどうするか提案すべきでしょう。それもないうちに現地に飛んでくれ、はないでしょう」と言われました。私は、モバイル事業部の方が現地に一緒に行くことで、アジアのファンにしてしまうこと、また時間の節約を勘案し、商品面からの調査協力を期待したのですが、言われてみればその通りです。

 事業部長の言うことに納得したので、「わかりました。まずは営業で調査した上で提案させていただきます」と答えました。モバイル事業部長も全く協力しないということではなく、本件の担当責任者に事業部長代理をアサインしてくれました。

 アジア課長時代の初出張はこうして、インド、パキスタン、それから別の商品のビジネス絡みでベトナムの3か国となりました。アジアのことはまだ右も左もわからず、私は現地企業への訪問、ミーティングをNECシンガポール社に頼み、在シンガポールの日本人出向者とシンガポール人、それから私の3人で訪問しました。

 最初にベトナム(ホーチミン)に入ったのですが、さっそくカルチャーショックでした。空港を降りて私はシンガポール人とタクシーでホテルに向かったのですが、空港には大勢のベトナム人がいて、自転車に乗って市内へ移動しているのです。我々は車で移動。道は舗装されておらず土の道。自分自身は車に乗って悠々としていることに居心地悪く、また、国力の違いをまざまざと見せつけられる思いでした。欧州の国ばかり見てきたので、その落差は一層大きかったことがカルチャーショックの原因だったと思います。今のホーチミンはそんなことありませんが、1994年のホーチミンはまだドイモイ政策(対外開放政策)の初期段階でしたから、経済成長はこれからという状況でした。生まれて初めてのカルチャーショックは今でも強烈に残っています。

 街中のレストランでは、出されたお皿にシンガポール人がティッシュを出して、拭くのには驚きました。お店の人に失礼だと思いましたが、彼らは平気です。「ベトナムは信用できないから自分で衛生面をカバーするんだ。お前もティッシュ貸してやるから拭いた方がいい」と言われました。

 そのあと、パキスタン(イスラマバード)に入りましたが、逆にパキスタンは道路も広く、西側の車が走っていて、そんなに落差を感じることはありませんでした。最後はインド(デリー)でしたが、インドは道路に牛が歩いていたり、街中は電気が少なく、小さなお店が所狭しと並んでいて、貧しい人が道端に屯していたりと、ここでも国力の差を感じました。

 国(街)の印象としてはパキスタンが一番進んでいるように感じましたが、当時の一人当たりGDPでみると三国とも似たり寄ったりでした。

 この出張が私の最初に触れたアジアでしたが、ホーチミンでの車側にいる私と自転車側にいるベトナム人、自転車があまりに多く、車もスピードが出せずに自転車とすれすれを走らざるを得ず、車越しに間近に貧しいベトナム人を見る光景は強烈でした。欧州のときには全くなかった感覚でした。前回、欧州からアジアに移ったことでチューニングが必要と書きましたが、それは頭の中だけでなく、感覚もチューニングしないとまずいと思いました。

 ただ、ショックはあったものの、心の奥ではアジアの感覚に親しみが持て、自分に合っているのではと直感的に思ったのも事実です。

 「脱欧入亜」。最初の出張ではまだまだ欧州の感覚が抜けていませんでしたが、そのあとインドに1か月ほど張り付くことになり、欧州の感覚は吹っ飛びました。

著者情報:仲 栄司

大学でドイツ語を学び、1982年、NECに入社。退職まで一貫して海外事業に携わり、ドイツ、イタリア、フィリピン、シンガポールに駐在。訪問国数は約50カ国にのぼる。NEC退職後、 国立研究開発法人NEDOを経て、20214月より神田キャリアカレッジに。「共にいる時間を大切に、お互いを尊重し、みんなで新たな価値を創造していく」、神田外語キャリアカレッジをそんなチームにしたいと思っています。俳句と歴史が好きで、句集、俳句評論の著書あり。