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築城の名手だった明智光秀①

水を治める先人たちの決意と熱意、技術に学ぶ 【明智光秀編】

文・緒方英樹(理工図書株式会社顧問、土木学会土木広報センター土木リテラシー促進グループ)

 戦国時代とは、一般的には応仁の乱(1467年)以降、豊臣秀吉が北条氏を滅ぼして天下統一した安土桃山前期(1590年)あたりまでと言われてきましたが、近年、大坂夏の陣まで含めて15世紀半ばから17世紀初めまで200年間を戦国時代とする説もあります。いずれにしても、合戦によって領地を奪い合った大変革の時代でした。

 そうした時代を生きた戦国武将にとって、戦の基盤となる領土の内政を確立し、経済基盤を持つために、領土を守る治水や築城など土木技術に長けることが戦国バトルを勝ち抜く基本的な要素であり、ひいては戦国時代の覇者となれる必須条件でありました。

戦国時代に来日したポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスは、主君・織田信長に謀反した明智光秀に対して、謀略と策謀の人物と容赦なく記述していますが、それでも、光秀の築城については「造詣が深く、優れた建築手腕の持ち主」(『日本史』=松田毅一/川崎桃太・編訳)と評価しています。
 

 フロイスが安土城(滋賀県近江八幡市)に次ぐ名城と評した坂本城(滋賀県大津市)は、比叡山焼き討ちの後、叡山の監視を目的に信長が光秀に命じて築かせた平城(ひらじろ)です。西に比叡山、東に琵琶湖を擁する天然の要害でした。本丸が琵琶湖に突き出した水城(すいじょう)であるため、城内には琵琶湖の水が引き入れられていました。「御座船を城の内より乗り候て、安土へ参る」と茶会に招かれた境の茶人・津田宗及が茶湯日記に記しているように、城内から直接船に乗って安土城へ行くこともできたことでしょう。

 大と小、連結する天守閣をもった城という記述も見られます。京都の吉田神社神主で信長や光秀と親しかった吉田兼見(よしだかねみ・1535-1610)の書いた『兼見卿記』にも、「明智見廻の為、坂本に下向……城中天守作事以下悉く披見也、驚目了」と、天守の見事さが記されています。織田信長による幻の名城・安土城築城以前のことです。(写真は坂本城址公園に建てられた明智光秀像)

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