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【ニュースがわかる2024年5月号】巻頭特集は10代のための地政学入門

ハチ公生誕100年【ニュース知りたいんジャー】

東京・渋谷のシンボルとして愛されている犬「ハチ公」。海外の人たちの間でも人気になっています。今年は、そのハチの生誕から100年となる記念の年です。飼い主が死んだ後も渋谷駅前で帰りを待ち続けた「忠犬」だったとして、駅前にある銅像とともに物語が語り継がれてきました。いったいどんな犬だったのでしょうか。【木谷朋子】


 ◇どんな犬なの?


 1923(大正12)年11月、秋田県大館市の農家・斎藤義一さんの家で生まれた秋田犬です。翌年1月に、今の東京大学にあたる東京帝国大学の農学部教授だった上野英三郎博士の渋谷の家(現在)の渋谷区松濤付近へやってきました。上野先生は、それまでに20匹近い犬を飼っていたほどの犬好きで、愛情深くハチを育てました。
 秋田犬は、大館地方で闘犬や狩猟犬として飼われていた大型犬で、ピンと立った耳や、くるりと巻いたしっぽが特徴です。飼い主の言うことに従う、忠実な性格でも知られています。ハチも忠実で人なつこい犬でした。
 しかし25(大正14)年5月、上野先生が突然亡くなります。先生の妻、八重子さんは、理由があって渋谷の家から引っ越すことになり、犬たちを飼い続けることができなくなりました。ハチは八重子さんの親戚に預けられ、不幸な生活が続きました。


 ◇渋谷駅に毎日通っていた?


 本や映画などでは、ハチが毎日渋谷駅で上野先生の送り迎えをしていたように描かれています。しかし、ハチのことを調べている白根記念渋谷区郷土博物館・文学館の松井圭太学芸員によると、実際は少し違ったようです。
 上野先生は、大学の農学部があった駒場(今の東京都目黒区)へは徒歩で通い、ハチと2匹の犬は、大学の門まで一緒に送り迎えをしていました。一方、渋谷駅を使うのは、本郷(今の東京都文京区)にあった東京帝国大学の別のキャンパスへ行く時や、出張の時でした。
 それではなぜ、ハチは先生の死後、毎日渋谷駅へ迎えに行くようになったのでしょう?
 上野先生の関係者が残した話によると、「上野先生が出張などから渋谷駅まで帰ってくると、ハチが駅の改札で待っていることがあった」と言っていました。このため先生が何日も帰らない時は渋谷駅へ戻ってくると思い、先生の死後も渋谷駅で待っていたのではないかと考えられます。


 ◇有名になったきっかけは?


 1927(昭和2)年、ハチはやっと八重子さんと、渋谷から遠くない東京・世田谷で暮らせるようになりました。その頃からハチは渋谷駅へ何度も行くようになり、八重子さんは、渋谷に住む植木職人の小林菊三郎さんにハチを預けることにします。
 ハチは渋谷駅へ向け、午前中は9時ごろ出かけて10時ごろ戻り、午後は4時ごろ出かけて6時ごろ戻ってきました。最初の頃は、駅の改札あたりをうろつく野良犬と思われ、追い払われたり落書きをされたりしていました。
 そんなハチのかわいそうな身の上を、心配する人がいました。日本犬保存会の斎藤弘吉さんです。斎藤さんは、ハチがなぜ渋谷駅に通うのかを多くの人に知ってもらおうと考え、朝日新聞にハチの話を投稿しました。これをきっかけに、32(昭和7)年10月4日、「いとしや老犬物語―今は世になき主人の帰りを待ち兼ねる七年間」という記事が載りました。すると、みんながハチにやさしく接してくれるようになりました。


 ◇なぜ銅像が造られたの?


 ハチは「渋谷駅といえば忠犬ハチ公」といわれるほど有名になり、日本中でブームが起こります。銅像の話は1933年に持ち上がりました。中でも熱心だったのが、彫刻家の安藤照さんです。有名になるきっかけとなる新聞投稿をした斎藤さんは、安藤さんの友人でした。ハチのことを後世に伝えるために銅像にしたいと相談します。
 銅像の計画は新聞に載り、日本だけでなくアメリカなどからも寄付が集まりました。そして34(昭和9)年4月21日、渋谷駅前の広場にハチ公像が設置されました。造ったのは安藤さんでした。除幕式には八重子さんやハチも参加し、約300人が集まったそうです。翌年にはハチの故郷、秋田県の大館駅前にも銅像が建てられました。


 ◇その後どうなった?


 銅像ができた翌年(1935年)3月8日、ハチは11歳で死にました。葬式が大々的に行われ渋谷駅の銅像前には約3000人が集まって悲しみました。
 その後、初代ハチ公像は、第二次世界大戦中の44(昭和19)年に、戦争に使う金属回収のため一度なくなりました。戦後、初代の制作者の長男、安藤士さんが2代目ハチ公像を造りました。


 この2代目の銅像の台座に刻まれる題字「忠犬ハチ公」を、毎日小学生新聞で募集していたことが、今回の取材でわかりました。結果は48(昭和23)年7月18日に紙面で発表されています。
 2代目ハチ公像の完成を祝う除幕式は、その翌月あり、題字の入選者の小中学生3人が除幕をしました。その後、ハチ公像の場所は何回か変わりましたが、89年5月からは今の場所にあります。(2023年11月15日毎日小学生新聞より)