注目キーワード
  1. 中学受験
  2. 社会
  3. イベント
  4. SDGs
【ニュースがわかる2024年5月号】巻頭特集は10代のための地政学入門

黒船来航170年 時代が動いた【ニュース知りたいんジャー】

今年は、神奈川県横須賀市の浦賀沖に、アメリカの黒船がやって来てから170年です。多くの外国と付き合わない「鎖国」をしていた日本は大騒ぎになって、やがて江戸幕府は倒れます。日本史の大きな転換点となった「黒船来航」について調べました。【小山由宇】


 ◇何しに来たの?


 黒船は1853年、4隻でやって来た軍艦です。木製の船が腐らないようコールタールという黒い物質を塗っていたため黒船と呼ばれました。4隻のうち2隻は、蒸気の力で動く蒸気船で、風や人の力などで動く船しか知らなかった日本人を驚かせました。
 軍艦を率いたのは、アメリカ軍のペリー提督です。浦賀の近くの横須賀市久里浜に上陸して、アメリカとの貿易など開国を迫る大統領の手紙を幕府に渡し、いったん日本を去ります。
 日本は開国するか、鎖国を続けるかで大騒ぎになります。「太平の眠りをさます上喜撰たった四杯で夜も寝られず」という狂歌が残っています。上喜撰(緑茶)と蒸気船、四杯と4隻をかけて、当時の混乱ぶりを表現しています。


 ◇日本はどうした?


 ペリーは54年、再び黒船でやって来ます。幕府は、開国しなければアメリカ(米国)と戦争になりかねないと恐れて、220年ほど続いた鎖国をやめます。日米和親条約を結び、下田(静岡)と箱館(北海道)を開港しました。
 58年には日米修好通商条約を結び、新たに神奈川(横浜)などの港を開きました。条約は不平等で、アメリカから輸入したモノに対し、日本が自分の判断で税金をかける「関税自主権」は認められず、アメリカ人が事件を起こした時、日本の法律で裁くこともできません(治外法権)でした。その後、日本はイギリス、ロシアなどとも同じような条約を結びます。


 ◇いま横須賀は?


 浦賀や久里浜のある横須賀市には「ペリー記念館」があります。4隻の黒船のジオラマ模型や、当時の瓦版(新聞)のコピーなどが展示されています。近くにはペリーの上陸記念碑が建っています。1901年製で、初代総理大臣の伊藤博文の筆で「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」と書かれています。


 横須賀から東京湾をずっと奥に入った品川沖には「お台場」があります。1853年の黒船来航に慌てた幕府が、江戸東京を守るために砲台を建設した場所です。今はフジテレビなどがあってにぎわっています。


 ◇文明開化につながった

 黒船来航をきっかけに幕府は崩壊し、明治政府が発足します。来航からわずか15年後の1868年でした。そこから日本はヨーロッパやアメリカの文明を取り入れて、近代国家への道を歩み始めます。文明開化といいます。国を豊かにして、軍隊を強くする「富国強兵」という政策をとりました。
 72年には新橋-横浜間で鉄道が開通します。同じ年には、蒸気で稼働する工場・富岡製糸場(群馬県)が開業しました。あまりの変化に、ギリシャで生まれ、日本人となった小泉八雲は「国民の頭脳が、よくこれだけの激動に耐えることができた」と記しています。


 ◇いまでも「黒船」って聞くよ


 来航があまりに衝撃的だったため、今でも外国から驚くようなモノが入ってくると「黒船」にたとえられます。
 人類最強といわれた中国の囲碁棋士を破った「アルファ碁」の登場は「黒船到来」といわれました。すごいスポーツ選手が海外からやって来た時に使われたこともあります。
 黒船から明治維新まで。これは第二次世界大戦から敗戦までと並んで、日本近現代の重要事件です。ペリー記念館の担当者は「歴史の大転換となった黒船来航なので、ぜひ学んでみてほしい」と話しています。(2023年10月18日毎日小学生新聞より)