Q 遣隋使や遣唐使は、どうやって隋や唐の人と話したの?(兵庫県姫路市、小6)
渡来人が通訳の役割
隋・唐は、昔の中国の王朝の名前です。いつごろ、どこにあったかはイラストを見てください。仏教や儒教など、高度な文化を持っていたので、「仲良くして、いろいろ教えてもらおう」と日本人が何度も派遣されました。これが、遣隋使、遣唐使です。
彼らがどうやって会話したのかについて書かれた本「古代日本人と外国語-東アジア異文化交流の言語世界」(勉誠出版)の著者で、筑波大学名誉教授の湯沢質幸さんは、「日本に仏教やものづくりなどを教えるため、隋や百済(今の韓国の一部)から渡来人が移り住んでいました。渡来人とその子孫が、通訳の役割も担っていました」と話します。初めて遣隋使に「通訳」としてついて行ったとされる鞍作福利も、中国から来た渡来人でした。
しかし朝廷は、日本の政治や学問にもくわしい優秀な日本人の通訳が欲しいと思っていました。ところが、勉強ができることと、上手に中国語会話ができることは別問題です。「政治家は、難しい漢文(中国語)の文章)の読み書きはできても、会話は苦手。朝廷が必要とするような通訳は、なかなか育ちませんでした」と湯沢さん。学問の神様と呼ばれる菅原道真もすばらしい漢詩を書きましたが、会話力はあまりなかったのではと言われているそうです。
お坊さんは必死に勉強
一方、着実に力をつけたのがお坊さんです。中国からやってくる僧から教わったり、遣唐使として中国に渡って仏教を学んだりと、熱心に勉強しました。「中国語の発音でお経を読んだり、人々に仏教を広める使命があったから、必死に勉強したようです」。当時は中国語を日本語にする辞書はなく、中国語をさらにくわしく中国語で説明する辞書しかありませんでした。それを使って必死に勉強していたのです。【毎日小学生新聞編集部】
(「疑問氷解 Vol.10(毎日小学生新聞)」より)