スタジオジブリの宮崎駿監督(82)の10年ぶりの長編アニメーション映画「君たちはどう生きるか」が14日、公開されました。宮崎さんは、「風の谷のナウシカ」「となりのトトロ」「千と千尋の神隠し」など数多くの名作を生み出し、国内外から高く評価されています。どんな人物なのでしょうか。【篠口純子】
◇10年ぶりの長編新作って?
映画「君たちはどう生きるか」は、昭和の編集者で評論家の吉野源三郎(1899~1981年)が少年少女向けに書いた小説からタイトルを取りました。宮崎さんはこの本を中学生の時に読み、深く感動しました。
小説「君たちはどう生きるか」の主人公は、コペル君というあだ名の15歳の少年。父を亡くし、東京で母と2人で暮らしています。いじめや貧困に悩み、叔父とノートや手紙をやりとりしながら成長していきます。2017年に漫画版が大ヒットしました。
宮崎さんは13年に「風立ちぬ」を公開後、長編製作からの引退を表明しましたが、17年に撤回しました。今回の映画は宮崎さんが原作・脚本を手がけたオリジナルストーリー(独自の物語)です。
◇どんな子ども時代だったの?
宮崎さんは1941年に東京で生まれました。飛行機の部品を作る会社を経営していた伯父を、父は役員として助けていました。
第二次世界大戦末期、伯父の工場が栃木県鹿沼市にあった関係で、3歳から小学3年生まで一家で栃木県宇都宮市および鹿沼市に疎開しました。4歳の時に宇都宮空襲にあっています。小学4年生から東京に戻りました。
高校生になり、まんが家を目指しました。日本初のカラー長編アニメ映画「白蛇伝」を見て、アニメに興味を持ちます。学習院大学を卒業後、アニメーターとして東映動画(現在の東映アニメーション)に入社しました。
◇手がけた作品は?
東映動画でテレビシリーズのアニメや長編アニメ映画「太陽の王子 ホルスの大冒険の製作に参加しました。ズイヨー映像に移籍し、「アルプスの少女ハイジ」の製作に参加。その後も「母をたずねて三千里」「未来少年コナン」など、数々のテレビアニメを手がけました。1979年に「ルパン三世 カリオストロの城」で長編アニメ映画の初監督を務めました。
84年に「風の谷のナウシカ」が公開されました。翌年、スタジオジブリを設立。「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「もののけ姫」と次々にヒット作を生み出しました。「千と千尋の神隠し」の興行収入は、2020年に「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」に抜かれるまで歴代1位でした。
◇海外の評価も高い
2002年のベルリン国際映画祭で、「千と千尋の神隠し」が最高賞の金熊賞を受賞しました。アニメ映画として史上初でした。03年にはアカデミー賞長編アニメ賞を獲得。アメリカなどとイラクとのイラク戦争が始まった中での授賞式となり、「うれしそうな顔を見せるのはつらい」とコメントを寄せ、姿を現しませんでした。
14年には、映画界に功績を残した人や団体に贈られるアカデミー賞名誉賞を受賞しました。日本人では、1990年の黒沢明監督以来、2人目でした。「アニメは子どもが見るもの」という固定観念を変え、芸術に高めたとの評価を受けました。
◇ものすごい読書家なんだって?
宮崎さんは読書家として知られています。大学時代、漫画研究会がなかったため、児童文学研究会に入りました。監督を務めた「魔女の宅急便」「ハウルの動く城」のほか、児童書を原作にしたジブリ作品は多いです。
また、第二次世界大戦の日本軍の戦闘機「ゼロ戦」の設計者をモデルにした「風立ちぬ」や、第一次世界大戦後のイタリアで元軍人が飛行艇を乗り回す「紅の豚」でわかるように、戦闘機や兵器についても詳しいです。
一方で戦争への動きにも反対しています。憲法9条の改正に「もってのほか」と反対しています。アメリカ軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設について、反対する市民運動を支援している「辺野古基金」の共同代表も務めています。
(2023年07月26日毎日小学生新聞より)