サブオと旅する「昭和100年」【月刊ニュースがわかる3月号】

Jリーグ30年 日本サッカー発展【ニュース知りたいんジャー】

1993年5月15日に旧国立競技場(東京都)で、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)と横浜マリノス(現横浜F・マリノス)の試合があり、プロサッカーリーグのJリーグが開幕しました。サッカーに興味のなかった人たちも巻き込んで大ブームが起き、日本サッカーのレベルも上がりました。30年の歴史を振り返ります。【田嶋夏希】

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 ◇サッカーが社会現象に?


 1993年の開幕戦では6万席のうち、抽選販売された4万席に、30万を超える応募がありました。サッカー雑誌の創刊が相次いだり、チームグッズも大人気、サッカーウエアがファッションアイテムになったりして、Jリーグ人気が社会現象になりました。
 この年、生命保険会社が調査している「子どものなりたいもの」でも、サッカー選手は野球選手を抜いて初めて1位になりました。「新語・流行語大賞」の年間大賞に「Jリーグ」、新語部門の金賞に、チームを応援する人たちを意味する「サポーター」が選ばれました。
 99年にJ2、2014年にJ3ができました。最もレベルが高いのがJ1です。93年の開幕時は10チームでしたが、現在はJ1からJ3まで60クラブがあります。


 ◇レベルが上がったよ


 Jリーグ開幕から5年後の98年のワールドカップ(W杯)のフランス大会で、日本代表は悲願だったW杯に初出場します。それ以来、7大会連続で出場しています。
 プロとなって、チームが高い年俸を選手に払えるようになりました。またブラジルのスーパースターのジーコさんなど、海外から有名な選手や指導者を招くことができました。そうしたことが日本選手の技術の向上につながっています。満員のスタジアムで試合をすることでやる気が増したことも、日本サッカーが強くなった要因です。
 人気の定着とともに、練習環境などが良くなり、選手への栄養や医学面でのサポート態勢も充実しました。埼玉スタジアムなど、サッカー専用のスタジアムが増え、スタジアムグルメが充実するなど、観客の見やすさ・楽しさも向上しました。


 ◇Jリーグの特徴は?


 地域密着とクラブによる選手の育成です。
 Jリーグはクラブがある場所をホームタウンと呼び、地域を元気にしたり、スポーツをする機会や喜びを提供したりすることを大切にしています。選手も積極的に活動することが求められます。例えば福島県では、農業体験の活動をしています。
 選手の育成は、トップチームの下にユース、ジュニアユースチームがあり、チームが一貫した育成をします。ドラフトで指名されたチームに入るプロ野球と比べて、育成への関わりが大きいといえます。
 優秀な子はより高いレベルに行くことができ、高校生でもトップチームの試合に出られます。昨年のW杯で活躍した堂安律選手や久保建英選手も15~16歳でJリーグデビューしました。


 ◇レジェンドがいるって?


 ブラジルでプロとして活躍していた三浦知良選手は、Jリーグの成功とW杯出場を目標に、日本に戻りました。ヴェルディ川崎(当時)の選手だった93年の開幕戦は、セレモニーも行われた特別な試合でしたが、三浦選手は冷静で「いつも通り迎えた試合の一つだった」と振り返ります。その年、Jリーグの初代、MVP(最優秀選手)に輝き、56歳の現在もポルトガルでプロ選手を続けています。世界最年長の選手で、日本では「キング・カズ」と呼ばれています。
 Jリーグの30年間の変化はたくさんあるといいますが、三浦選手はその一つに選手を応援するサポーターをあげます。6日のACL(アジア・チャンピオンズリーグ)の決勝、浦和レッズ対アルヒラル戦を、三浦選手もポルトガルで見ていました。埼玉スタジアムを真っ赤に埋め尽くすレッズのサポーターが作る人文字や声援に、ヨーロッパに負けない30年の進化を感じたと言います。一緒に観戦していたチームメートも驚いたそうで、「サッカー文化が根付いているポルトガルの人たちに伝わったことがうれしい」と話します。


 ◇今後の目標は?


 Jリーグは、世界一のクラブを決める「FIFAクラブワールドカップ」で優勝できるような、世界で通用するクラブ作りを目指しています。
 ヨーロッパ各国のリーグが世界のサッカーファンから憧れられているように、Jリーグのファンを増やすために、アジア地域での活動にも力を入れています。
 例えば、アジア7か国のプロリーグと提携し、選手の移籍や育成、ビジネスにおいて相互に交流しています。
 Jリーグが基本に位置づける地域密着をより進め、60クラブそれぞれがさらに地域に愛される存在になるような活動も、さらに増やしていきます。(2023年05月10日毎日小学生新聞より)