佐々木朗希投手20歳 史上最年少、完全試合のすごさ【ニュース知りたいんジャー】

プロ野球でいちばん難しい記録といえば「完全試合」です。9回27アウトで一人の走者も出さない離れ業を、プロ3年目、20歳の佐々木朗希投手(ロッテ)が史上最年少で成し遂げました。約90年のプロ野球の歴史で16人しかいません。加えて奪三振の記録では13人連続や1試合19個も達成し、1週間後の試合でも8回24人を完全に抑えました。いったい何が他の選手とは違うのでしょうか?【上鵜瀬浄】


 ◇完全試合って何?


 野球はヒットなどで点を取り、九回まで戦って得点の多い方が勝ちです。ところが、佐々木投手は4月10日、昨年パ・リーグで優勝したオリックスとの試合で、27のアウトのうち三振19個、アウトですが打てた打者は8人、外野に飛んだのが二つだけと見事な投球でした。この記録が最初に出たのは1950年。最近では94年ですから28年間出ず、21世紀初の達成者になりました。ちなみに50年から続く球団では、巨人とヤクルトは一度も完全試合をされたことはありません。
 余談ですが、佐々木姓は3人目。全員、名前に「朗」「郎」が入っています。最も勝利数の多い400勝の金田正一投手も57年に達成しましたが、名投手の証しとされる200勝を達成している人は藤本英雄投手と2人だけ。これからの活躍を期待したいですね。


 ◇ローキって、なにもの?

 佐々木投手は2001年、岩手県陸前高田市に生まれました。9歳、小学4年生の時に東日本大震災に遭遇。当時37歳だった父・功太さんと祖父母を津波で亡くし、自宅も流されました。同県大船渡市に移り住み、軟式で140㌔㍍台を投げました。地元の大船渡高校へ進学し、190㌢㍍の長身から投げ下ろす速球に磨きがかかり、2年生で150㌔㍍、3年生の19年にはアメリカ大リーグ・エンゼルスの大谷翔平投手の高校時代を上回る163㌔㍍をマーク。夏の岩手大会に進みました。
 しかし、それまでの試合で投球が多かったため決勝では登板せず、チームは敗れ、甲子園に行けませんでした。その秋のドラフトでパ・リーグ4球団から1位指名の末、ロッテに入団。2年目の21年5月に初勝利を挙げ、インタビューでは亡き父を気遣って、初勝利のウイニングボールを「両親に渡したい」と話しました。この年は3勝。今季開幕前には、震災後11年のコメントとして「今ある当たり前のことや、身近にいる大切な人たちのことを、当たり前と思わずに向き合ってもらえたら」と語りました。大リーグでは大谷投手に加え、ブルージェイズの菊池雄星投手も岩手県出身です。


 ◇いつ大リーグに行けるの?


 プロ野球で大活躍した選手がアメリカ大リーグに挑戦する場合、球団も本人もハッピーな制度としてポスティングシステムがあります。大リーグ全30球団に希望を募り、最も高い金額を提示した球団が日本の球団に移籍金を支払う仕組みです。大谷、菊池両投手はもちろん、打者として今年からカブスに所属する鈴木誠也外野手、戻ってきて楽天で投げている田中将大投手、引退したイチローさん、松坂大輔さんもこの制度で海を渡りました。プロ野球では、通算9シーズンを1軍で務めると、自分の望む球団に行けるフリーエージェント制度(FA)があります。ですが、これは移籍取引の上で球団にお金がかかり、負担になります。そこで、FA宣言される前に望みをかなえようというのがポスティングシステムです。
 菊池投手、鈴木外野手、それに松坂さん、イチローさんは8~9年、プロ野球に在籍しましたが、大谷投手はその半分のわずか5年でした。投手・野手の「二刀流」の才能を早くから開花させたいという、日本ハム・栗山秀樹前監督の意向もありました。佐々木投手のいるロッテ・井口資仁監督も大リーグで活躍しただけに、そう遠くないかもしれません。


 ◇他の投手と何が違うの?

 完全試合を達成した前後の試合を含む、無安打18イニングはアウトが54個です。そのうち、三振で奪ったアウトは13連続を含む34個、63%に上ります。何よりも魅力なのは、最速164㌔㍍のストレートと、打者の手元で落ちるフォークです。実際に佐々木投手の球を見た、筑波大学准教授も務める川村卓・同大監督によると、190㌢㍍の長身を特長に挙げて「球を放す位置が高い上に、打者に近い。バレーボールのスパイクのよう」と言います。野球界では「球持ちがいい」といいます。手も長くて、しなりもある。160㌔㍍超の球を普通の投手より近くで放されたら、タイミングが合いません。
 フォークは、普通ならストライクから、ワンバウンドさせるような低いボールゾーンに投げますが、「佐々木投手の場合は球が速く、腕の振りも同じなので、ストライクゾーンで勝負できる」とのこと。昭和時代に「怪物」と言われた元巨人・江川卓さんの話です。


 ◇どうやって育てられたの?


 少年時代から注目されていた佐々木投手は、野球界総出で守られて、今があります。中学時代に腰痛を訴えたところ、菊池、大谷両投手を育てた花巻東高校の佐々木洋監督に紹介された病院で疲労骨折が判明し、半年かけて治しました。大船渡高校時代は甲子園にあと1勝に迫った夏の岩手大会で、準決勝までに435球投げていたことから当時の監督が決勝での登板を回避させ、賛否の騒動にも耐えました。
 ロッテ入団後は、ともに大リーグで活躍した井口監督と、川村准教授のもとで大学院で学び直した吉井理人・前投手コーチが1年間、1軍にいさせながら1試合も登板させず、ひたすら基礎体力向上を課し、1軍投手の調整法を学ばせました。2年目も間隔を空けたので、登板数は11で3勝。同学年で13勝してオリックスの優勝に貢献した宮城大弥投手の23や、9勝してセ・リーグ優勝のヤクルトの主軸になった奥川恭伸投手の18に及びませんでしたが、「球界の宝」を守る首脳陣の英断でした。それは、2試合連続完全試合の大記録を目前にして「先々を考えると限界」と降板させた井口監督の判断にも共通しています。(2022年05月18日掲載毎日小学生新聞より)