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戦時下のスポーツと選手たち【ニュース知りたいんジャー】

8月15日は終戦の日です。76年前のこの日、昭和天皇はアメリカやイギリスなどの連合国に降伏することを、ラジオで国民に伝えました。

日本が1930年代から10年以上続けていた戦争は、やっと終わりました。今年は東京オリンピック(五輪)が開かれましたが、戦時下のスポーツはどのように行われていたのでしょう。【上鵜瀬浄、木村葉子】


 ◇小学校の体育はどんなものだったの?


 1872(明治5)年から使われてきた「小学校」という名称は、1941年から「国民学校」に変わりました。教育の目的は「国や天皇のために尽くす人を育てる」ことでした。学習する教科は、国民科(修身・国語・国史・地理)、理数科(算数・理科)、体錬科(武道・体操)、芸能科(音楽・習字・図画・工作・裁縫)の4科にまとめられました。
 体錬科は体を強く健康にするだけでなく、戦争に役立つ体力、精神力を養うための学科でした。小学校の時の「体操」に比べると、3年生以上の「体錬科」は2倍に増え、ほとんど毎日実施されるようになりました。体錬科には武道(剣道、柔道)が含まれ、女子はなぎなたが取り入れられました。なぎなたは長い柄の先に反り返った長い刃をつけた武器のことです。平安時代の後期ごろから使われ始め、江戸時代には主に女性の武具とされました。国民学校の授業では木製のなぎなたを使いました。体錬科の武道の時間内に、男子は木製の銃を持って軍事訓練をする学校もありました。


 ◇大学生のスポーツは?


 今回の東京五輪でメイン会場になった新国立競技場は、1964年の東京五輪でメイン会場だった国立競技場を建て替えたものです。そしてこの場所には戦時中、明治神宮外苑競技場がありました。
 43年、太平洋戦争の戦況が悪くなったことから、徴兵(国が法律に基づいて兵士になることを義務づけること)を先延ばしにしていた文科系の男子大学生らも、学業を中断して戦争に行くことになりました。10月21日には、ここで出陣学徒壮行会が開かれました。数万人の学生が雨にぬれながら銃を抱えて行進し、家族らで埋まったスタンドでは、日の丸の旗が振られました。学徒兵の総数は10万人を超すともいわれますが、正確な人数はわかりません。飛行機ごと敵の戦艦に突撃したりする「特攻」で、戦死した人も数多くいます。
 出陣学徒壮行会直前の10月16日、早稲田大学と慶応大学による野球の試合が開かれました。「戦地に向かう前に、もう一度試合をしたい」と、特別に開催された「最後の早慶戦」です。結果は、10対1で早稲田大学が勝ちました。


 ◇プロ野球選手も戦争に行ったの?

 野球は明治時代にアメリカから伝えられ、主に学生の間で広まりました。今のプロ野球は、1934年にできた今の読売ジャイアンツ(巨人)が始まりでした。36年には7球団によるプロ野球のリーグ戦がスタートしました。そんな中、活躍したのが巨人の沢村栄治投手です。来日したアメリカ大リーグ選抜チームのベーブ・ルースらの強打者相手に好投したり、プロ野球でヒットを一本も許さないノーヒット・ノーランを3回記録したりして、名を上げました。
 阪神タイガースには、大リーグで活躍中の大谷翔平選手のように投打の「二刀流」で活躍した景浦将選手もいました。しかし戦争が始まると、名選手でも特別扱いはしてもらえず、沢村投手、景浦選手ともに戦死しました。戦後、沢村投手をたたえ、活躍したプロ野球の先発完投型投手に与えられる「沢村賞」ができました。元大リーガーで楽天に復帰した田中将大投手も2回受賞しています。東京ドーム(東京都文京区の横には「鎮魂の碑」という石碑があり、戦死した沢村、景浦両選手をはじめ、約80人のプロ野球選手の名前が刻まれています。


 ◇スポーツはできなくなったの?


 1941年にイギリスやアメリカなどとの戦争(太平洋戦争)が始まり、野球やラグビー、サッカーなどは、「敵性スポーツ」として用語が使えなくなったり、全国大会が中止になったりしました。しかし相撲は、日本の国の力を国内外に知らしめるための宣伝材料に利用されたことから、続けられました。
 「戦前の大横綱」とも呼ばれる双葉山は、太平洋戦争が始まる前の36年から3年間、無敗の69連勝を記録。42~44年にも36連勝を記録して、「不敗神話」の象徴として祭り上げられました。軍服で戦車に乗るなどの軍事教練に参加したり、当時、日本の言いなりだった「満州国」(現在の中国東北部)や日本の統治下にあった朝鮮半島で、戦地の兵隊の前で相撲を取ったりしました。
 さまざまなスポーツ大会が中止になる中、大相撲は43年まで通常通り年2場所、44年には3場所を開きました。終戦直前の45年6月にも夏場所を7日間行われましたが、双葉山は力の衰えもあって初日に出て休場しました。そして、敗戦直後に開かれた45年秋場所で引退しました。


 ◇オリンピックにも影響があったの?


 「平和の祭典」である五輪が戦争に利用された時代がありました。1936年の開催地はドイツの首都ベルリンでした。ユダヤ人を迫害したナチスを率いたヒトラーが、映画まで作り、全世界に自らの力を誇示する手段に利用しました。男子マラソンでは、日本の統治下にあった朝鮮半島出身の選手が、「日本人」として出場。孫基禎(ソンキジョン)選手が金、南昇龍(ナムスンリョン)選手が銅メダルを獲得しました。しかし朝鮮の新聞「東亜日報」は、日本への抵抗の意味を込め、表彰台の孫選手のユニホームから「日の丸」を消した写真を載せました。このことが大きな問題となり、東亜日報は日本軍部から、発行停止処分を受けました。
 男子棒高跳びでは、同じ記録だった西田修平選手と大江季雄選手にそれぞれ銀と銅のメダルが送られました。大江選手はその後、27歳で戦死し、遺品から、西田選手の銀と自分の銅を半分ずつに切ってつなぎ合わせたメダルが見つかりました。
 日本はドイツと同盟関係を結ぶなど親密な関係だったこともあり、ベルリン大会開催直前の国際オリンピック委員会総会で40年の東京大会開催が決まりました。しかし日中戦争の激化による軍部の反対などで、38年に開催を返上し「幻の東京五輪」となりました。45年の敗戦までに多くのオリンピアンが犠牲になりました。(2021年08月11日掲載毎日小学生新聞より)